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教頭発:家族を想う

 (教頭発/校長編集:平成25年3月15日金曜) 天気晴れ  

 いよいよ卒業式を明日に控える日となりました。

 6年生がエントランスをはじめ奇麗に清掃してくれました。「立つ鳥あとを濁さず」とは言いますが、卒業前日まで一生懸命に校舎を奇麗にしてくれる姿がまぶしく目に写りました。

 かしこく すこやかに りりしく凛として 世界にはばたく 気高きこどもたち (建学の精神)

 建学の精神を体現する少年少女に育ってくれたなと思います。

 明日は立派な卒業式にしたいと存じます。

   ※卒業式リハーサルの後、私はきょうも出張です。

    続きでは、教頭発エッセイをお読みいただきます。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【教頭筆エッセイ】

家族を想う

 

 『「何もしてあげられなかった」「守ってやれなくてごめんよ」。そう言って何度、自分の心を責め続けてきただろう。』(毎日新聞朝刊より抜粋)

 

 こんな思いを抱きながら、生きている人が一体どれほどいるのでしょう。特に東日本大震災では、多くの記事を見る限りこの思いに打ちひしがれている人たちが、おそらく亡くなられた数以上にいらっしゃるのだと思います。

 

 子供が大きくなると、小さい時にこうしてあげればよかった、ああしてあげればよかったと後悔しきりですが、日常のそんな後悔など及びもできない無念さや慟哭を伴った辛さがあることを思い知りました。 私たちは自分の身の上に、もし同じようなことがあったら耐えていけるだろうかと考えるのはいけないことでしょうか。

 

 宮城県石巻市長浜町の木工作家、遠藤さんは、命日の11日に手向ける手作りの献花台で、手を合わせ「花とかんたはこの春で卒業だったな」「かなは紫がすきだったな」とお線香をあげました。そして、自分が3人を死なせてしまったとずっと責め続けてきました。

 

『「大震災の日 、揺れが収まると 遠藤さんはすぐに自宅から離れた小学校へ走った。「みんなで逃げよう」。4年のかんた君、2年の次女かなさんを自宅に連れ帰ると、既に中学1年の長女花さんも帰っていた。』

 

 遠藤さんは、花さんに妹と弟を託して、近くに住む親戚の家に一人で様子を見に行ったその時、津波が襲ってきました。まさかと思われるそんなわずかな間でした。

 

  花さんとかなさんの遺体は翌朝、自宅近くで二人が手をつないだまま見つかりました。かんた君は約10日後に遺体安置所で対面したそうです。救われるのは3人とも眠っているような穏やかな顔をしていたことです。遠藤さんは「何かあったら親父が守る」3人にいつも約束していました。

 

  私たちは遠藤さんの辛すぎる悲しみを一緒に分かち合うことはできませんが、今私たちにも家族がいます。「家族との一人一人への普段の向き合い方はどうなのだろう、本当に愛しみながら家族の一人一人を守るとはどういうことなのだろう」。と、自身に問いかけずにはおれませんでした。

 

                                                

                                                      板橋昭夫

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コメント(1)

本日もいい日でありまして、明日は遂に6年生のご卒業ですね。ご卒業おめでとうございます。

2年前の今ごろは、余震も頻繁で、卒業式が出来なかった学校や、延期した学校などございましたね。あの日を境に人生が一変してしまった方々のことを思うと、2年経った今でも心苦しく感じます...。
あの恐ろしい体験を忘れずに、亡くなられた尊い命を無駄にしないよう、辛いけれども生きていかなくてはと存じます。