季節はめぐる/上田高校@五島慶太先生母校/二子運動会その2
(校長発:平成24年10月10日水曜) 天気曇り
朝夕は少し肌寒さを覚えるようになってまいりましたね。
あれだけの猛暑がついこのあいだまで続いていたのに、なんとも不思議な感覚です。
でも、「季節はめぐる」・・・日本に昔からある言葉です。
四季のある国の嬉しさ、美しさをあらわす言葉ですが、同時に楽天性も示しています。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
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(つづき)
どんなに暑苦しい夏であっても必ず秋がきて冬がくる。
どんなに凍え縮むような冬だろうとうも春がきて夏が来る。
逆に油断をいましめる言葉でもあります。
春だと思ってのんびりしていると、あっというまに炎天の夏になってしまうよ。
秋だと思って遊び暮らしていると、うかうかしているまに極寒の冬がくるよ。
・・・・・・「季節はめぐる」・・・楽天性と戒めがあって良い言葉だと思います。
【上田高校の城門@五島慶太先生が通った旧制上田中学校】
先日、あるお母さん(Uさん)に長野県上田高校の城門の写真をいただきました。
本校創立者五島慶太先生の母校(旧制中学時代)ですが、Uさんの母校でもあるのだそうです。私がいま伝記執筆中だというので、お持ちくださいました。 しばらくあたためておりましたが、本日、久しぶりに伝記執筆のペンを走らせましたので、 ご紹介しようと思います。
フラッシュ動画でご覧ください。
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上の写真の余韻の消えないうちに、次をお読みください。五島慶太先生の若き頃をしのんでもらえると思います。
※いま執筆中の一部です。構想文で、原稿ではありませんので
特別大公開しても問題ないでしょう。
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慶太がさいしょにかよった上田中学校(今の上田高等学校)は旧上田城のなかにある。
上田城といえば、真田昌幸、真田幸村(信繁)父子で有名な城だ。
慶太が入学したころも、城門はどっしりと揺るがぬ柱にささえられており、門の扉には大きな黒鋲(くろびょう)が底光りをはなっていた。
この城門を朝な夕な見上げ、くぐる慶太の胸のうちには向学心がたぎるばかりであった。
城内からは雄大な日本アルプスの山々を望むことができ、千曲川の清流がちかくを流れた。
ここで学ぶうち、いつしか慶太のこころは城門のようにどっしりと落ち着き、雄大な山々のように高くそびえ、清流のように清らかなやさしさをはぐくんでいった。
「行ってまいります。」
慶太は毎日、家から上田中学校に通った。
青木村殿戸地区の自宅を出るのは朝まだ暗いうちだ。
なにせ片道三里(約12Km)なのだ。どんなに速足でも時速6キロメートルで歩ければ良い方だから、中学校に着くまでに二時間からそれ以上かかる。
「慶太、朝くらい中をひとりで山道を越えるのは心細くないかや?」
兄の虎太郎がたずねたことがある。
「なあに、自分の好きな中学校に、父さん母さんが行かしてくださることを思えば平気の平左だあね。母さんの作ってくださる味噌おにぎりの弁当の温もりも感じられるだあね。」
以上、特別公開でした。
【二子幼稚園運動会】
先日、お邪魔した二子幼稚園運動会の私の仮装姿を正面から撮影したのをM君が持ってきてくれました。 お父さんが撮影してくださったそうです。ありがとうございます。
事務長さんが「校長の仮装の正面姿がないのが寂しいですね」と言っていましたので、掲載しておこうと思います。
以上
上田高校の写真をブログに掲載していただきまして、ありがとうございました。
また、執筆中の五島慶太先生の伝記の構想文、方言の部分に「そうそう」と懐かしく感じるのと同時に、なぜ、校長先生が知っていらっしゃるのか不思議になりました。
完成するのを楽しみにしております。
娘には残念ながら校門は見せられなかったのですが、上田城跡には連れて行ったところ真田の六文銭に興味を持ったようです。
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コメントありがとうございます。
また上田高校の写真、大変ありがとうございました。
方言については、都市大塩尻高校の校長はじめ教職員の皆さんと話す折りに、塩尻の先生方の話しかたを参考にさせてもらったものです。
執筆完了とともに刊行前に塩尻の校長先生にも読んでもらうことになりますので、そのときに方言チェックもしてもらう予定だったのですが、Uさんが「そうそう」とおっしゃっていただき、手間がはぶけました(笑)。ありがたく存じます。
真田六文銭家紋はたいへん有名ですから、お母様がそのご出身ということはお譲ちゃんにとっても誇らしいことでしょうね。こういうところから、お譲ちゃんが歴史好きになることもあるでしょうから、親の故郷探訪は有意義ですね。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
校長