1年生の元気なあいさつ/5年生家庭科「自立」の学習
(校長発:平成24年4月17日火曜) 天気曇り(薄陽)、夕刻雷鳴
夕方になると、雷鳴がとどろきましたが、日中は春うららの日よりでした。
こういう日は、月並みですが、次の漢詩を思い出しますね。
春暁(しゅんぎょう) ・訳 春のあかつき(明け方)
孟浩然 ・ 孟浩然
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春眠不覚暁(春眠 あかつきを 覚えず)・春の眠りは深くて、夜が明けるのに気づかない
処処聞啼鳥(処処 啼鳥を聞く) ・(めざめると)あちこちで鳥がなくのが聞こえる
夜来風雨声(夜来 風雨の声) ・昨夜来、風雨の音がきこえていた
花落知多少(花落つること知る多少) ・ せっかく咲いた花の落ちたものもあるだろう
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(続き)
最近は、漢詩漢文に親しむ機会がめっきり少なくなりました。私どもが子供のころは、中学校で漢文を教わり始め、高校では本格的に勉強したものですが、いまは高校でもめっきり少なくなっているようです。
でも、現在の指導要領では小学校国語教科書にも「声に出して読もう」という単元で漢文が取り上げられるようになっており、漢文好きの私としてはうれしく思います。
実際には一時間ほどしか授業することができなかったりするわけですが、そのぐらいのことであっても、小学生のうちに漢文の韻文にふれたり、漢文的な言い回しにふれることは、将来の教養のもとになります。
教科書には論語から次のような言葉が選ばれて掲載されています。
- 学びて時にこれを習う 亦た よろこばしからずや (勉強して時々復習をすることは喜びだ)
朋あり 遠方より来たる 亦た 楽しからずや (友達が遠くから訪れることは楽しみだ) - 故きを温めて新しきを知る (古いことに習熟して新しい知識を導きだす)
- 己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ(自分がされたくないことは、人にしてはならない)
【きょうの学校のようす】
きょうはカメラにメモリーカードを入れ忘れて教室巡回したため、写真を撮ることができませんでしたが、二つの印象的なできごとがありました。
<1年生の元気の良いあいさつ>
1年生が、2年生に手伝ってもらってする学校探検の準備をしていました。
1桜を、とてもお行儀よくできているなあと感心しながら、1桐の廊下に進んで、子供たちの様子を眺めていると、榎本先生が、
「都市大付属小学校の子供になったのだから、名前を呼ばれたら、とても元気よく返事ができるようにしなければ駄目だよ」
と教えながら、おもむろに、大きな声で「重永校長先生」と私を呼名するではありませんか。
思わず大きな声で 「はい!」と返事をしました。
その後、榎本先生の呼び掛けに応じて、子供たちもみんな元気のよい返事をしましたので、これまた思わず拍手を致しました。
「廊下に立つ校長を見本に使おう」という榎本先生の機転もなかなか良かったですが、私もあわてずに「教材」になれて嬉しく思いました。
それにしても、1年生、桜組、桐組ともに順調にスタートを切っています。
<5年家庭科>
きょうは、「自立」というテーマの勉強をしていました。5年生で「自立」を学ぶのですから、今の小学生はすごいですね。
子供たちの手元のプリントには、「家でしなければならない仕事」が表になっており、それぞれ家の誰が分担しているかを子供たちが書き入れるようになっています。
「自分」と書き込まなければならないところもあって、それを眺めながら、
「うんうん、これはなかなか良いことだ。おうちのお手伝いは家族の一員として当たり前でなく、将来の自立に向けて大事だからな」
と思っていると、上澤先生が、
「ゴミ捨てのように、お母さんだけでなくお父さんもいっしょにするような分担は両方書いてくださいね」
と言ったときには、どきり!としました。その理由は・・・・・(笑)。
でも私も家事分担はしております。風呂は掃除をふくめて私。庭(猫の額)の植栽の手入れは私。布団の上げ下げは私・・・・・そのほかは・・・聞かないでいただきたい(笑)。
一応わたしも家族の義務は、家内ほどではなくても果たしているのですが、ゴミ捨てはたまにしかやらないものですから、上澤先生の言葉に、どきり!としたわけです。
仕事だけでなく、「家事もなんでもやれる男」が格好良い時代ですから、男子の都市大っ子の皆さん、子供の時から積極的にお手伝いを致しましょう。それが自立の道です。
(きょうは写真抜きで申し訳ないですが、以上です。)
昨年度(55回)卒業生です!
「春暁」、この間の漢文の授業でやりました!
卒業しても先生ブログのおかげで学校の様子を知ることができ嬉しいです。これからもぜひ続けてください!
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マテ茶様
コメントありがとうございます。
卒業後1年たってもブログをご覧いただき、ありがとうございます。愛校心のつよい卒業生がたくさんいらっしゃって嬉しく思います。
「春暁」だけでなく漢詩の勉強は教養ゆたかな人間を作るので、これからも続けてほしいと思います。