甲子園決定@都市大塩尻/夏休み生活展(94)
(7月28日校長発)
・夏休み7日目。
昨27日、ついに我がグループの東京都市大学塩尻高校野球部が高校野球甲子園大会への出場切符をものにしました。
「第93回全国高校野球選手権」長野大会決勝戦で松商学園をやぶって優勝しました。
同校は信州工業高校ー武蔵工業大学付属第二高校といった時代から、学校法人五島育英会が経営してきた学校で、本校の前身である東横学園小学校とは系列校でした。
その信州工業高校時代も野球の強い学校で、平成2年(1990年)には長野大会決勝戦まで勝ち進み、もう一歩のところで涙をのみました。その後も、春季大会では県優勝を何度も勝ち取るなどして、長野県内では常に強豪校の一つに数えられてきましたが、甲子園の切符はなかなか手に入りませんでした。
ですから、今回、甲子園大会に歩を進めたのは、実に「21年の悲願」を達成したといえます。
いまは名実ともに東京都市大学グループとして本校とともに日本の明日をささえる教育をすすめている都市大塩尻高校の甲子園出場を、「我がこと」として喜びたいと思います。
- 現在、都市大小学校の児童も希望者は応援団に参加できる(父母同伴)よう、折衝しております。
応援団用のバスは出場校の規模に応じて割り当てられるそうですので、都市大塩尻応援団のなかにグループ校がどれだけ入れるか、まだ分かっていません。
しかし、小学校児童にとって甲子園応援団席に入れることは夏の思い出として最高のことだと思いますので、私としては積極的に折衝しているところです。
ただし、「保護者同伴」が前提で、かつ東京から兵庫まで中高校生といっしょの団体バス移動になりますので(希望者人数がちょうどであれば小学校専用バスもありえますが)、「保護者の方による自己責任のとれる児童の範囲」とお考えください。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
【夏休み生活展(94)】
作品№272:「横浜外交官の家」(ジオラマ)
№273:「マグカップ」(陶芸)
№274:「サルの彫刻」(木彫り)
№275:「つぼ」と「コップ」(陶芸)
№276:「わりばしで作ったログハウス」(ジオラマ)
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【甲子園出場決定@都市大塩尻高校野球部】
- 現在、秋田県においてインターハイ(全国高等学校総合体育大会)が開かれており、実は、そのサッカー大会に都市大塩尻高校サッカー部が長野県代表として出場しております。
そして、きょう、一回戦をたたかいました。相手はサッカー強豪県の静岡学園高校でしたから、残念ながら0ー4の大敗をきっしました。選手は涙涙だったそうですが、野球部の報告記事を書く前に、サッカーイレブンの皆さんの健闘をたたえたいと思います。
さて、甲子園出場を決めた試合について、これまでのこともふくめながら、書き進めていきたいと思います。
都市大塩尻では、実は、都市大グループが誕生する一年前の平成20年に、「塩尻の名将」といわれた大輪監督が退職されました。この監督のもとで「長野の強豪」のなまえをかちとり甲子園の一歩手前まで何度も手が届きそうになったのですが、ついに夢かないませんでした。独自の野球教育観をお持ちの方で、長野県野球界では有名人です。
その方のあとを継ぐ形で、三年計画で甲子園出場を達成してほしいという要請をうけて塩尻高校へ招いた監督が新井監督です。かつて富山県の高岡第一高校を甲子園に導かれました。この夏が着任三年と四か月ですので、約束を果たされたことになります。立派なものです。
目標を設定することは簡単でもそれを実現することは難しいものです。よほどの強い意志、いやそれだけではなく、明確で緻密な計画が必要ですが、それを新井監督は実行されたわけです。このレポート記事の最初に敬意を表したいと存じます。
↓ 長野新幹線で応援にかけつけたのですが、上田駅を通るとき、上田城をのぞむことができました。
↑ 上の写真:戦国の名将真田幸村(さなだゆきむら)の城ですが、ここは現在、お城の遺構のまま、上田高校になっています。旧制上田中学校で、本校創立者五島慶太翁の卒業された学校です。
創立者とともに応援にかけつける気持になりました。
↓ 決勝戦のある長野オリンピック記念球場は、長野駅から篠ノ井線にのって篠ノ井駅でおります。
↓ 徒歩30分ほどで球場へ行けるのですが、みんないっしょでしたのでタクシーで行きました。
↓ とても立派な球場です。今夏、プロ野球の巨人ー横浜戦が行われるそうです。
↓ 中にはいると塩尻高校応援団の皆さんが目に飛び込んできました。青い色が都市大カラー。
↓ 私たちがついたときにはもう両チームのシートノックがおわってグランド整備中でした。
↓ さあ、いよいよ戦いの始まり。挨拶にのぞむ両チームナイン。手前の赤いラインの入ったストッキングが東京都市大学塩尻高校野球部です。
※ナインのプレーの様子や優勝を決めた時の応援席の喜びのもようなどは、
記事の最後にフラッシュ動画(2本)にまとめました。
↓ 応援の吹奏楽部。同校はながく工業高校で、男子が圧倒的多数の学校だったのですが、近年、普通科設置とともに国立大学進学者も出てくるなどして、女子生徒の入学が増大しています。
吹奏楽部も2年前に結成されたばかりなのですが、吹奏楽部は女子だけでした。
↑ 上の写真:甲子園大会では、塩尻高校の人数を補うために東京の付属高校の吹奏楽部も応援参加する予定です。
↓ 野球部後援会の保護者の皆さん。
↓ ベンチに入れなかった野球部員の力強い応援。
↓ 途中、追い上げられてきたときに、これではならじと鉢巻を締め直す法人職員の若きホープ。
↓ 大接戦となったなか絶対に勝つぞと女子生徒も野球部員の真後ろに加わって意気上がる塩尻高校生の大応援。
↓ スコアボードが大接戦を表しています。
先発はエースナンバーをつけた相原君でした。横浜市立中学校出身です。
2回表にその相原君の打棒もあいまって三点をもぎとり、その裏、0点に抑えたときには、金子君がおさえの投手としていてくれるので、まあ安心してみていられるかなあと思っていたのです。
その私の「慢心」がいけなかったのでしょう。追加点が入らないばかりか、私の慢心を見透かしたように、6回ー7回に松商学園の打棒が火を噴き、5点をとられ逆転されました。
6回の2点をとられ、3ー2と追い上げられた段階でも私は、「松商学園に花をもたせる」ぐらいの気持ちでいたのですから、応援の心構えとしてつよく反省しております。都市大塩尻ナインの皆さん、ごめんなさい。
逆転されて、私の闘志に火がともりました。それまでの楽観を反省して、「応援する自分があきらめてはナインに申し訳ない。どんなことがあっても甲子園の夢をたたかっているナインとともに持ち続けよう」と思いました。
まわりの応援席からも「あきらめたほうが負けだからな」とか「心が折れない人数が多い方が勝つんだ」とかいう声が聞こえてきます。
しかし、8回表の攻撃でも追加点をとれず、9回の攻撃で2点をとらなければ「X負け」となると決まった時は、「うーん」と天をあおぎました。それでも、「甲子園の夢をあきらめるな」とか「ぜったい甲子園に行くぞう」とあらんかぎりの声をはりあげて応援いたしました。
すると、8回裏をおさえて9回の攻撃で、敵失もありましたが、なんと3点をとって大逆転です。9回をおさえれば甲子園がやってきます。応援席は、やんややんやの大騒ぎでした。どの顔にも満面の笑みか嬉し涙がやどっていました。
私も「決めたな」と思いました。ところが、これがいけない。「さっき反省したばかりじゃないか、何をやっているの、シゲナガ!」と自分をしかりとばすことが、その裏、おきます。
松商学園をほめたほうが良いでしょうか。同点に追いつかれたのです。
閉会式講評で、大会委員長が、「決勝戦にふさわしい好ゲームとなったのは、敗れた松商学園の皆さんの決してあきらめないプレーの数々があったことを忘れてはなりません」とおっしゃいましたが、まさにその通りです。日本一の出場回数をほこる古豪松商学園は、はじめの夢を実現しようと意気高い都市大塩尻の前に高くそびえる壁となってなんどもなんども立ちあらわれました。
しかし、都市大塩尻の押さえ投手、金子君の力投で同点におさえ、延長戦にもつれこみました。
さあ、あとは気力と気力の勝負。何回で決着がつくか分からないが、気力で負けたほうがこの夏に終わりがきます。
↓ 塩尻高校生徒応援団は肩を組んで応援に精を出しました。どのこたちもあきらめていない。心が折れていない証でした。
↓ ご覧ください。応援団リーダーの面々、飛びあがって跳ね上がって気迫の応援リードをします。
延長戦に入ってからますます熱が入っていました。これも心が折れていない証です。
この応援団の声援の甲斐あって、延長13回表、都市大塩尻が先取しました。裏をおさえれば良いという気持ちはわいてきましたが、しかし、こんどは、また何が起きるか分からないという警戒の気持ちを持ちながら応援しました。
塩尻ナインは、その裏、死闘の呼び方のとおり、「もうこれで終わらせよう、両チームとも十分苦しんだ、この裏を自分たちで守りきって決着をつけ、松商ナインにも休んでもらおう」というような気持ちで戦ったのではないでしょうか。
松商の13回裏の攻撃、ツーアウトから3塁側フェンスに向けて大きなファウルフライが上がりました。これを杉本君がフェンス激突という渾身のプレーで捕球しました。しかし、倒れた。誰もが球がグラブから落ちたかもしれないと思った瞬間、杉本君がグラブを高々と掲げたではありませんか。
スリーアウト、ゲームセット、優勝が都市大塩尻の手に入った、勝利の女神がついに都市大に微笑んだ瞬間でした。
応援席がわきかえっています。初の甲子園の切符にわきかえりました。その様子は最後のフラッシュ動画でご覧ください。それを撮影していた私の目もうるんでいたと思います。
いまこうして書いていても、うるんできそうです。
↓ 優勝メダルを胸にグランド行進する都市大ナイン。その後ろには銀メダルの松商ナインがつづいていますが、松商ナインの皆さんも感動の好ゲームをありがとうございました。
それでは、記事の最後にフラッシュ動画をご覧ください。甲子園での都市大塩尻旋風を祈ります。
↓ 都市大塩尻高校野球部ナインのプレーの数々
↓ 優勝を決めた瞬間の応援席と閉会表彰式の模様
お疲れ様です。
いつも楽しく拝見してます。本日のブログはいつにもまして
力の入ったレポートですね。おかげで、長野まで応援に行かなくても、行った気になりました。
それにしても、甲子園出場とはすごいですね。応援にかけつけた校長先生の都市大を想う気持ちにも敬服いたします。
先日の5年生男子のテニス留学の話もそうですし、勉強だけでなくスポーツの分野でも、今後都市大の名前が全国的に流れる機会が増えることは、生徒たちのモチベーション向上に大いに役立つだけでなく、父母にとっても、少々鼻が高いですね。
系列校に負けずに、小学校も何かスポーツでメジャーになれるといいですね。小学生・全国大会・チーム戦でとなると30人31脚くらいしか思いつきませんが。。。(汗)
おやじ様
コメントありがとうございます。いつもご愛読いただいていることに感謝申し上げます。
「いつにもまして力の入ったレポート」と言っていただいて書いた甲斐がございます。でも、「小学校のいつものレポートもこのぐらい力を入れてほしい」とのお気持ちも汲み取れますので(笑)、今後とも頑張りたいと思います(汗)。
塩尻高校にとっては信州工業高校と名乗っていたときからの悲願の甲子園ですし、
都市大グループが誕生してからは、グループの名前を全国区に押し上げる意味から、法人理事長、グループ総長を筆頭にグループ校全体の悲願となりましたので、
今回の甲子園出場は重ねて大変うれしいものがあります。
また、現在の都市大グループ各校は、もちろん、それ以前の名称の前身校および統合校すべての卒業生の母校ですので、こたびの甲子園出場は、前身の幼稚園から大学までの全卒業生にとっても、「やっと巡り来た栄光」であるわけですから、喜びもひとしおです。
私も甲子園に応援にまいりますが(児童保護者の応援団参加募集もする予定ですが)、おやじ様をはじめ皆様のテレビ観戦応援を心よりお願い申し上げます。