卒業生にささげる折り句
(4月12日校長発)
ちょっと間の抜けたことになります。
3月19日に卒業した卒業生をたたえる<折り句>を作っていたのを、式当日にアップするつもりだったのですが、すっかり忘れてしまっていました。今日、気が付きました。言い訳になりますが、作ったのは2月24日です。その後、3・11巨大地震が起こり、卒業式を予定通りにできるかどうかの判断をくだすことに気をとられてしまい、作ったことも忘れていました。大変申し訳ないことをしました。
みんなもう中学生になり、本校には可愛い新入生が入ってきて、あらたなスタートを切っているときに掲載するのはいかがなものかという思いもし、いっそ、現在の6年生用にとっておこうかという魔もさしましたが、それは現6年生に失礼なことになる・・・誰も知らないのだから良いではないかというわけにはまいりません・・・「四知(しち)」という言葉があります・・・<天知る 地知る 我知る 汝(なんじ)知る>・・・意味は、誰も知らないからというが、天はお見通しだ、大地も知っている、何よりも自分が知っているではないか、そして君自身が知っているだろう>という意味です。
ここでは、「汝(なんじ)知る」は当てはまりませんが、しかし、この「四知」は自分を律するうえで、とっても大事なことで、誰も見ていないから悪さをしても良いのだという考え方を厳しくいさめる教えです。
一年後に何食わぬ顔で現6年生を寿ぐために作ったかのように装う(よそおう)のは駄目だと思い、やっぱり、間が抜けた形で恥をかいても、今のうちのほうが良いと考えて、本日アップすることにしました。
皆様、なにとぞご了解ください。
ただ、「たくさんのおもいでいだき いま まなびやをすだたむ」という8行目と9行目のフレーズを除けば、現在の高学年の皆さんに当てはまりますので、在校生の皆さんも心して読んでいただけたら幸いです。
そういえば、昨日今日とつづけて、<親>というものの有難さ、尊さについて、しみじみ考えさせられることがございましたので、そういう意味では、本日の折り句は、「親」もテーマですので、本日アップは必ずしも間が抜けていないかなとも思います。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
折り句
<東京都市大学付属小学校卒業生を讃える>
とうねんあまりふたとせ (十年余り二年)
うまれいでてこのかた (生まれ出でてこの方)
きずきあげきたる (築きあげ来る)
よろこびにみちたとしつき (喜びに満ちた歳月)
うみそだててくださりし (産み育ててくださりし)
とうさま かあさまを (父様 母様を)
したうこころや いとふかき (慕う心や いと深き)
たくさんのおもいでいだき (たくさんの思い出抱き)
いま まなびやをすだたむ (今 学び舎を巣立たむ)
かしこきこに そだてよ (賢き子に育てよ)
くじけぬこに そだてよ (挫けぬ子に育てよ)
ふくよかに そだてよ (ふくよかに育てよ)
それらのねがい むねいっぱいに (それらの願い 胸いっぱいに)
くろうして そだてこし (苦労して育て来し)
しゅぎょくの わがこ (珠玉の我が子)
よくここまで そだちくれしぞ (よくここまで育ちくれしぞ)
うれしさの こみあぐる (嬉しさのこみあぐる)
かくも りっぱなすがた (かくも立派な姿)
つわぶきのはな のように (石蕗の花のように)
こんなんに まけず (困難に負けず)
うしろを むかず (後ろを向かず)
そんきょのきもちを たもちて (蹲踞の気持ちを保ちて)
つややかなこころにて (艶やかな心にて)
きらきらと ひかれる (きらきらと光れる)
ようこうを うけるすがたぞ (陽光を受ける姿ぞ)
うつくしき (美しき)
せかいに いでて (世界に出でて)
いのちあるかぎり (生命ある限り)
をのこ おとめの (男 乙女の)
たぎるこころを (たぎる心を)
たからかに うたえ (高らかに歌え)
えにぞ かきたき (絵にぞ描きたき)
るりいろにひかる しちじゅうはちめい(瑠璃色にひかる七十八名)
以上
こんばんは。通りすがりのOLです。
検索サイトで「折り句」を検索していたところ、こちらの記事に出逢いました。
正直言いまして、感動のあまり友人に電話してこの折り句を音読してしまうくらい琴線が震えています。
親を想う卒業生の気持ち、子を想う父兄の気持ち、児童を温かい眼差しで見守る先生の気持ち、そして卒業生を讃える思いが見事に折り句になっており、脱帽しました。
この折り句と、瑠璃色に光り輝く卒業生の未来に乾杯♪
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「通りすがりのOL」様
本校校長でございます。
嬉しくまたありがたいコメントに、こちらが胸ふるえる思いです。
通りすがりながら、全文お読みいただき感謝申し上げます。
そのうえ、お友だちに音読してご紹介いただいたとは恐縮でございます。
折り句にご関心がおありだから、検索なさったことと拝察いたします。
コメントを寄せていただいたお礼に、私の折り句の作り方について書いておこうと思います。
私は、折り句は作ろうと思って作れるものではないと思っております。
もちろん作ろうと思わなければ始まらないわけですが、作る対象に対する思いを何日間かあたためて考えているうちに、あるとき天から自分の心に降ってくるような感じになる瞬間があります。
そのとき、たまたま自分に余裕の時間があって、机に向かうと、心にフレーズが浮かんできて、そのまますらすらと筆が動いていきます。その状況は自分にもとても意外なものです。
といいますか、その瞬間は天に感謝したくなるほどです。
その瞬間が訪れるまで、駄句であっても、自分の思いを表わす言葉を「折り句」の形のなかにとりあえず入れ込んでおくようになさったら良いと思います。
ただし、天から言葉が降りてくる瞬間に自分に余裕がなければ、机に静かに向かえませんので、それらの言葉は流れてしまいますが、あとで、ゆっくり思い出しながら書きとめ、書きとめしていると再び「天のことば」がやってくることもあります。
以上でございますが、このたびは本当にありがとうございました。これを機会に今後とも私どもの東京都市大学付属小学校ならびに都市大グループにご関心を持ち続けていただきましたら幸甚でございます。