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〇桃の節句 ひな祭り
〇【詳報】2/20 三年生民家園見学(昔の暮らし学習)
 校長の子どもの頃の切ない思い出話

(校長発:令和2年3月3日火曜) 晴れ 臨時休校2日目。


きょうは、桃の節句、ひな祭りです。児童が登校しているときから飾ってはおりますが、やはり、ひな祭り当日に児童がいないので、ちょっぴり寂しそうなお内裏様とお雛様です。

お二人とも新型コロナウィルスが早くいなくなって平常の時間がもどってくることを祈ってくださっていると思います。


ひな人形.jpg

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【詳報】2/20 三年生民家園見学(昔の暮らし学習)

先月20日に三年生が次太夫堀公園に民家園の見学に行った模様をご覧に入れます。

昔の暮らし学習の一環として行きました。下のスライドショーに、3年生がおやつとして「黒糖の麩菓子(ふがし)」をいただいているシーンがあります。私らの世代にはとても懐かしい駄菓子です。

私らの子ども時代、学校から帰宅して一番最初に行くのはどこだったか?いうまでもなく駄菓子屋でした。いつもおなかをすかしている時代ですから、ちょびっとでもお小遣いがもらえると一目散に駄菓子屋(笑)。

もっとも毎日小遣いをもらえるわけではないので、毎日というわけにはいきません。また、ちょっと高いお菓子を買うときは、何回かのお小遣いをためて買ったものでした。そのエピソードを一つご紹介しましょう。

黒パンと言って黒糖をまぜた甘いパンがありました。一個10円。私はとても好きでしたが、黒パンの棚とは別のところに置いてある「コッペパン」がいつも気になっていました。白っぽくてちょっと大きい。でも20円するのです。いつも諦めて黒パンで我慢していました。でも、あるとき意を決して、コッペパンを買うことにしました。・・・ということはですね、親に2倍のお小遣いをもらえるはずはないので、一回分我慢するのです。2回分のお小遣いをためて20円にしてコッペパンを買うことに決めたのです。

当時は毎日お小遣いがもらえるとは決まっていなかったと書いたように、私は2日に一度でした。ということは、三日我慢して四日目にコッペパンにありつけるということになります。この足掛け四日というものは、おやつを我慢して(といっても買うおやつを我慢するというこであって、お金をもらえないときは、だいたい「ふかしイモ」、あるいは自分で味噌おにぎりをつくって食べるなどしていましたから、おやつが渡らない日はないのですが・・・でも駄菓子屋で買うお菓子こそが最高なのでした。)、とにかく三日間は我慢して、ついに四日目、コッペパンを買いました。

駄菓子屋のおばさんは褒めてくれましたね。「えらいわね、ちょっと見かけないと思ったら、お小遣いをためてコッペパンを買うんだ、えらいえらい。」と。おばさんに褒めてもらったこともあって、上々得意満面で、コッペパンにかぶりつきました。すると・・・

上々得意の顔つきをしていた私は、泣きださんばかりの表情に変わりました。自分で自分の表情はわかりませんが、誰がどうみてもそうだったはずです。なぜなら、甘い黒パンとちがって、コッペパンは甘くもなんともない、皆様ご存じのようにジャムとかなんとかつけないとコッペパンは当時の子どもには食べられたものじゃない(食べられますけど、なんとも味気ない)・・・私は三日間の我慢がうらめしく思えてきたのでした。二度とコッペパンに手を出すことはありませんでした。切ない切ない思い出話。

おまけに、もう一つのエピソードも書いておきましょう。マーブルチョコレート(丸い筒にはいったやつ)が新発売になったとき、これも20円でした。こちらは三日間我慢して4日目に買ったとき、我慢して大正解であると大満足であったのを覚えています(笑)。

 ※ところで、お金持ちの深窓の令嬢は、駄菓子屋に出入りを禁止されていました。理由は、駄菓子は雑菌まみれで、おなかをこわすからというもの。今風にいえば、とんでもない風評被害にご令嬢は見舞われていたのです。子どもにとって、あんなに魅力的なお菓子はなかったのに・・・もっともアイスキャンデーなどはサッカリン(危険な人工甘味料、今は使用禁止)などが入っていましたから、ご令嬢が言われていたのがすべて的外れではなかったのですが。)

      ↓ さあ、では、大脇先生と担任の撮影画像でご覧ください。

また、数年前に私が同行した時に撮影した民家園の道具などをご覧ください。3年生はこれらも見学して説明を受けているはずです。

      ↓ 



   本日の記事は以上です。

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