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○全校朝会(沖縄慰霊祭に関連して)
○【後日詳報】先週から水泳の授業

(校長発:令和元年6月24日月曜) 雨のち晴れ


  今日は今から出かけますので、いつもより早めにアップします。

 先週土曜日は、方面別交流会にご参加いただきまして、ありがとうございました。
 土曜日は夏至でしたね。昼が一番長い日です。それから二日目を迎えていますので、もう二日分短くなった理屈ですが、夏至をはさんで前後一ヶ月はやっぱり夕暮れがやってくるのが遅く、朝は4時過ぎには東の空が明るんできます。

 夕方いつまでも明るいからと気持ちをゆるめずに、規則正しく生活してほしいと思います。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【全校朝会(沖縄慰霊祭に関連して)】

 校長講話

 昨日6月23日は日本人が忘れてはならない日です。毎年、沖縄戦没者慰霊祭という式があり、沖縄県知事、日本国総理大臣、国会議長が御霊(みたま)をなぐさめるお言葉を捧げられます。昨日は、その中にまじって、小学校6年生の女子が哀悼の言葉を捧げました。

 今から74年前、昭和20年、1945年の8月に太平洋戦争が終わりました。戦争が終わる数ヶ月前、米軍が上陸攻撃した島が沖縄です。 小笠原諸島の南にある硫黄島も米軍が上陸しましたが、その住民は米軍上陸の前に住民は島を離れていましたので、住民が生活する島としては沖縄が唯一、米軍上陸攻撃の島となりました。

 昭和20年3月、沖縄から見る水平線は米軍の軍艦が浮かび並んだため、真っ黒に見えたと言います。その真っ黒な軍艦の大集団が水平線から沖縄本島に対して一斉艦砲射撃をしました。艦砲射撃というのは軍艦が海の上から陸地に向かって大砲を撃つことです。

 ものすごい量の大砲の弾が沖縄に落ちました。「鉄の暴風」と呼ばれます。大砲の弾が雨あられのように降り注ぐ、暴風が襲うように大砲の弾が吹き降りてくる。そして実際にも、無限の大砲の弾が落ちてくるので、実際に大きな風も巻き起こった。それで「鉄の暴風」と言われます。

 この「鉄の暴風」のために大勢の沖縄の人が亡くなりました。そのあと、米軍が上陸しましたが、沖縄本島には人っ子一人もいませんでした。助かった方はみんな「ガマ」と呼ばれる洞窟に逃げ込んでいたからです。米軍は洞窟に向かって「出てきなさい」と呼びかけますが、当時、日本人は米兵を鬼と教えられていたため、出てくる人はいませんでした。

 それで、米兵は洞窟に向かって火炎放射器を浴びせ、中にいる人を焼き殺しました。奥に逃げ込んだ人たちは焼かれなくても熱風で蒸し焼きにして殺されました。

 このようにして大勢が亡くなった御霊を慰める式が昨日の6月23日に毎年行われる慰霊祭です。

 小学校6年生の女の子が捧げた言葉のなかに「命どぅ宝(ぬち どぅ たから)」という言葉がありました。命こそ宝という沖縄の言葉です。命を奪い奪われるような戦争は二度としてはならないという祈りが込められている言葉です。

 平成の天皇陛下が、令和に替わる前に「日本は、平成の時代に戦争がなかったことに安堵している」とおっしゃいました。令和も戦争がない時代にしていかなければいきません。それは年寄りの校長先生たちの責任でもあるが、あなたたち若い人が大人になっても戦争をしないと胸に刻み続けなければ実現しない難しい課題でもある。

 戦争は人が起こすものだから、人が起こさないとみんなで決めれば起きないで済む。
 先日、アメリカのトランプ大統領が一旦、イランを攻撃する命令書にサインをして、すっかりイラン攻撃の準備が整ったところ、攻撃時刻の10分前に中止命令を出した。それでイランと米国は戦争から回避された。人が戦争をしないと決めれば戦争は起きない良い例として、頭にしっかり刻み込んでいなさい。

 あなたたちが寿命を迎えるときまで、戦争を起こさない日本にしてゆきましょう。

児童会のお知らせ

 先週、上級生は実力テストでした。うまくできた人も、できなかった人も、次へ向けてしっかりと勉強を続けていきましょう。  また、先週から水泳の授業が始まりました。プールに入るので安全第一の心がけが大切です。体調に気をつけて、また、ふざけたりしないように、水泳の授業を楽しみましょう。

          ↓ 事務長撮影。40秒ほど。



    本日の記事は以上です。

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