東京都市大学付属中学校・高等学校等々力中学校・高等学校塩尻高等学校|付属小学校|二子幼稚園五島育英会

○研究授業(5年桜組ー社会科)
○父母の会活動(広報部・厚生部)/6年生卒対委員会

(校長発:平成31年2月26日火曜) 晴れ


   ※今日は、広報部の皆さんと厚生部の皆さんが活動してくださいました。
    また、父母の会ではありませんが、6年生卒業対策委員会の皆様がご来校活動してくださいました。
    それぞれの活動に感謝申し上げます。

 本校では学年ブロックごとに研究授業を毎年おこなっております。低学年、中学年、高学年のブロックに分かれて研究授業をおこない、それを教員全員で参観し、授業後、講評しあい学びあいます。ことしは、すでに既報の通り、低中学年は終わり、残る高学年ブロックの研究授業を本日おこないました。

 ほかの学年と5桐はお昼で早帰りするなか、5年桜組の皆さんに残っていただいて研究授業をしてもらいました。ご協力ありがとうございました。

 授業者は担任の林先生です。社会科の歴史分野。奈良時代の庶民の生活の単元でした。古代社会の遺物(いぶつ)の一つに木簡(もっかん)というものがあります。木を薄く狭く削りだし木片にして、その表面に語句や文章を記す用にしたものです。いまで言えばメモ用紙という感覚ですね。

 当時、すでに大陸から製紙技術が伝わっていて日本でも紙が盛んに使用されていたものの、大量生産がきかないので、紙は大変高価なものでした。そのため、一般庶民に限らず、公的なお役所でもメモ書き程度で済むものは、この木簡を利用していました。木ですので、土の条件によっては腐らずに現代まで残った木簡が大量に出土しています。紙だったら残らなかったわけですから、後世から考えたときには何が幸いするか分かりませんね。

 きょうは、これまでに出土している木簡に何が書いてあるかをこどもたち自身の目で確かめながら進める授業でした。・・・こどもたちの中には木簡をみて「お墓にあるやつだ」と言った子がいますが、お墓にあるのは「卒塔婆」(そとば)であって、木簡と比較したら、十倍ぐらいの大きさはあります。そんな大きなものはメモ用紙にはなりませんね。

 こどもたちは、「米と書いてある」「丹後と書いてある」「林と書いてある、先生のことだ」、「僕の名字が書いてある」などと木簡表面に認められた文字を次々に読んでいきました。

 そういう中から、庶民が税金としてお米や清酒などを朝廷に納めたときのメモ書きだということが分かってきました。お米五斗(ごと)というのがあって、五斗のお米をどのように都まで運んだのだろうかとなったわけですが、五斗というのはおよそ75kgから80kgだと林先生に教わり、びっくりしていました。

 そして、しかも、林先生はその五斗の重さはどのようなものか体験させるために、先生達の協力をえて、味噌樽のなかに75kgの重りを入れて教室に用意していました。時間の関係で全員には体験させることはできず、数人が持ち上げに挑戦しましたが、挑戦した児童がびくともさせられないのをながめて、へえとためいきをついていました。・・・女の子が1人、ほんのちょっぴり動かすことができましたが。

 ・・・また授業終了後、みんな、動かしてみようと我も我もと味噌樽のまわりに群がっておりました。

 さて、一般庶民の生活について、こどもたちの感想として出てきたことのなかに、「大変重い物を運ばなければならず、大変きつい生活だった。」というもののほかに、「こんな重たい物を運ぶのだから、昔の人は筋骨隆々だったのだと思いました。」というのがありました。まことに正確な理解です。満腹に食える状態ではないですから、痩せてはいたものの、筋骨はたくましかったはずです。・・・もっとも都までの行き帰りの途中で、思わぬことに出くわしたりして飢え死にしたりすることもあったのではありますが。

 5年桜組の皆さん、本当にご苦労さまでした。そして、ありがとう。感謝します。


(本日の記事は以上です。)

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