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○ファイナルステージ オープニングセレモニー
○いだてん金栗四三と嘉納治五郎と五島慶太と
○父母の会活動(総務・文化部・厚生部)

(校長発:平成31年1月8日火曜) 晴れ 今朝の気温0℃


 ※冬休みがあけて登校初日の本日、早朝から交通安全立哨に父母の会文化部のお母さま方がたってくださいました。また、総務の皆様が12日の懇親会準備、厚生部のみなさまが給食のためにご来校活動してくださいました。学校再開そうそう、それもたいへん寒い中での活動に心より感謝申し上げます。

 きょうは大変つめたい一日でした。暖房を入れている部屋のなかにいても底冷えを感じるほどのつめたさでした。それにもかかわらず、こどもたちは短パンで元気に駆け回っているのですから、やっぱり風の子ですね。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【ファイナルステージ オープニングセレモニー
いだてん金栗四三と嘉納治五郎と五島慶太と】

       ↓ オープニングセレモニーのようす。事務長撮影のフラッシュ動画です。


校長の話では、1月6日から始まったNHK大河ドラマ「いだてん」にまつわる話を致しました。

「いだてん」は漢字で書けば「韋駄天」となります。足がとても速くて、仏様の食事のために全世界を走り回って食材を集めた神様だといいます。

 ※ごちそうは「ご馳走」と書きますが、この韋駄天が駆け回って(馳走)食材を集めたことにちなむ読み方です。・・・このことは児童には話しませんでしたが。

とても足が速い人のことを昔から「いだてん」と呼ぶのは、この韋駄天の神様にちなみます。今年のNHK大河ドラマ「いだてん」の前半の主人公は「金栗四三」という人ですが、日本で初めてオリンピックに出場した人です。日本で初めて行われたマラソン大会で当時の世界記録を出したために、第5回オリンピック(スウェーデンのストックホルム大会)に出場すれば金メダル間違いなしと期待されました。

このオリンピック参加をすすめた人を「嘉納治五郎」といいます。今の筑波大学、昔は東京高等師範学校というたいそう難しい名前で、学校の先生を育てる学校でしたが、そこの校長先生でした。嘉納治五郎先生は、柔道の創始者だけれども、体育がとても重要だということを強調していた先生でした。

また世界中でスポーツが盛んになれば世界平和が実現するとも考えていた人で、オリンピック運動に積極的にかかわって、アジアで初めて国際オリンピック委員会の理事になった人です。だから、嘉納治五郎先生は高等師範の学生たちにスポーツに取り組ませました。

なかでも青山から上野毛までの20kmマラソンは今に語り継がれるほどです。この20km競走で頭角をあらわしたのが小学生時代往復12kmを歩いて通ったという金栗四三だったのです。

金栗四三は結果的には熱中症におかされてストックホルム五輪マラソンで途中棄権となってしまったのですが、日本のオリンピック出場の祖として、またストックホルム五輪に欧米以外で初めて参加した選手として日本とスウェーデンの架け橋となっている選手です。

この金栗四三の東京高等師範学校における先輩に本校創立者の五島慶太がいます。
五島慶太も嘉納治五郎先生にたいそう可愛がられました。卒業後も苦学生であった五島慶太に家庭教師先を紹介して東京帝大の学費を融通する道をひらいてくれたのも嘉納治五郎先生でした。

五島慶太と金栗四三は実際には同じ時期に学んではおりませんが、嘉納治五郎という天下の教育者、スポーツマンの共通の教え子であり、しかも重要なことは二人とも嘉納治五郎からたいそう可愛がられた教え子であったということです。ですからお互いに知人であったことは容易に推察できます。

この3人の関係について本日の校長講話で話し、そのことを「五島慶太伝」に書いたことも児童に紹介しました。 きょう話した3人の関係の詳しい話は、後日、五島慶太伝の一節を紹介することで替えたいと思います。五島慶太伝は5年生と6年生にはお渡ししてあります。また図書室にも配置しております。

    本日の記事は以上です。

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