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【教頭レポvol.3】修学旅行第二日(その1:文章レポ)

(校長発:教頭レポート:平成30年4月26日木曜)


 二日目の行程。まず文章レポートをお読みください。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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あとで画像をお届けします。教頭は400枚以上とどけてくれました。私に時間的余裕がないので編集しないで生のママアップするかもしれません。

【教頭レポvol.3】修学旅行第二日】

6年修学旅行第2日目

 強くなった雨脚の音を聞ながら、第二日目の朝を迎えました。

 そのため、子どもたちが朝食をとっている間に、出発を遅らせることに決めました。傘を持ちながら駐車場に集合し、今回お世話になるガイドさんからご挨拶を頂いた後、雨中行軍の開始です。

 「雨中行軍」......勇ましいことばを使ってしまいましたが、気持ちを奮い立たせるために敢えて使ってみました。なぜなら、今日は最も長く歩く行程だからです。そして、6年生は若いとはいえ(?)、雨の中、かなりきつい行程になることが予想されるからです...私だけかもしれませんが。

 まずは、興福寺へ向かいます。

 雨が強いこともあって、五重塔の見学もそこそこに、国宝館へ向かったのですが、開館前に到着してしまいました。そこで、開館までの間ガイドさんがお話をされたのですが、その一つに収蔵されている阿修羅像についてのお話を紹介しておきます。

 インド神話では戦闘を好む鬼神であった阿修羅(あしゅら)は、仏法の守護神となりましたが、その一族は、帝釈天(たいしゃくてん)が主である世界に住んでいました。また、阿修羅には娘がいて、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていたそうです。

 ところが、その帝釈天はその娘を力ずくで奪ってしまったので、怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになりました。この争いが行われたとされる場所が「修羅場」です。このことから、戦いの激しい場所や血なまぐさいことが行われる場所のことを「修羅場」(しゅらば)というようになったそうです。......

......さすがはガイドさんです。子どもたちも、「へー」という顔で聞き入っていました。ガイドさんのお話が終わると、間もなく開館となりました。館内には、天平彫刻の傑作としてあまりにも有名な阿修羅像をはじめ、旧食堂の本尊であった千手観音像、十大弟子像、八部衆像、金剛力士像、天燈鬼・龍燈鬼像などさまざまな時代の国宝級の仏像や宝物などが収められています。子どもたちは、集合時間を忘れるほど、皆神妙な顔つきで、熱心にメモをとっていました。

 この後は、楽しい鹿との出会いが待っている東大寺へ向かいます。

 しかし、東大寺南大門前のふだん鹿がたくさんいる場所は、他の修学旅行生やインバウンドの皆さんで混雑していたので、鹿への餌やりは別な場所にすることにして、すぐに東大寺南大門に向かい、金剛力士像の説明を聞いてから、境内に入りました。

 鏡池では、雨があがってもいましたし、混雑も緩和されて、やっと落ち着いて集合写真を撮ることができました。

 大仏殿では、廬舎那仏の大きさに圧倒されていました。しかし、柱抜けは混雑のためにできませんでした。

 混雑を潜り抜け、東大寺から出ると、若草山までの上り坂が始まります。二月堂の手前に十頭近くの鹿がいたので、ここで鹿に餌やりをすることにしました。

 子どもたちは早速鹿せんべいを買い求め、鹿に餌をやろうとするのですが、ビビりながらやるものですから、鹿が主導権を握っての餌もらいになってしまいました。

 二月堂に行くには長い階段を上らなくてはならないのですが、その階段を登ろうとする教員にとっては難関です.........。しかし、雨男(本来は晴れ男)の汚名返上とばかりに、まっさきに青木先生が階段を駆け上がります。

 二月堂を上り下りしてからも、ここから若草山に向かうまでの道のりがまた、坂道が続きます。若草山でも集合写真を撮ることができました。

 そして、春日大社の駐車場に向かいます。駐車場で、奈良公園のガイドさんとはお別れです。ためになる、そして楽しいお話をしていただき、ありがとうございました。チャーターバスに乗り込んで、法隆寺に向かいます。

 法隆寺門前の食堂で早々と昼食を済ませ、境内に向かいます。

 雨が上がった砂利道を歩くのは、砂埃も舞うことなく、空気もひんやりとして引き締まり、入り口に近づくにつれて浄化されていくような感じです。

 入り口付近でも集合写真を撮り、境内に入ります。国宝の中門が修理中だったのは残念でしたが。聖徳太子創建といわれる法隆寺は、子どもたちの中で一番見たかった(人気のあった)寺院ではないでしょうか。釈迦三尊像のアルカイック・スマイル(軽く笑みを浮かべるように見える唇)、百済観音像の優雅な佇まい、圧倒される玉虫厨子の大きさと精緻さ、エンタシスなど、思わず唸ってしまうものばかりです。

   では、ここで問題です

   エンタシスは、なぜ柱の中ほどにわずかなふくらみを持たせているのでしょうか。

 一通り見学したのち、法隆寺大宝蔵院に向かいます。出口の先には正岡子規が詠んだ「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」句碑があるのですが、ここは素通りしてしまいました。

 続いては、さらに南下して飛鳥の里に向かいます。

 まず、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳を見学します。現在は、墳丘の盛土がまったく残っておらず、横穴式の石室が露出しているだけですが、蘇我氏の当時の権勢をうかがい知れる「古墳」です。

 興味津々の子どもたちは、階段を下りて不思議な空間(石室)の中へ吸い込まれていきました。見学もそこそこに、続いて次の目的地である飛鳥寺に向かいます。

 飛鳥寺は、仏教を保護した蘇我馬子の発願により創建された日本で最初の本格的寺院で、本尊の釈迦如来坐像は日本最古の仏像です。

 住職さんの法話をお聞きしたのち、飛鳥寺の西側にある蘇我入鹿の首塚に向かいました。背後には、かつて蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子が権勢を天下に示すために居宅を築いた甘樫丘が迫っています。

 ここからは、宿舎にもどるだけですが、その前に第一のお土産購入場所である猿沢池周辺の商店街に寄ります。とても楽しみにしていたお土産の購入場所です。気温がだいぶ下がってきたにもかかわらず。子どもたちの気分はだいぶ高揚していたのではないでしょうか。購入したお土産を持った子どもたちは、意気揚々と宿舎に戻っていきました。

 


    この記事は以上です。続きをお楽しみにお待ちください。

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