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【教頭レポートvol.03】
  北海道卒業記念旅行/スキー教室第二日

(校長発:平成30年2月17日土曜) 晴れ


 教頭レポート第三弾です。 届けられたのが17日の午前2時。まさに草木も眠る丑三つ時に送ってくれています。疲れているところ、ご苦労様です。 今朝は6時過ぎには連絡をくれましたので、教頭の睡眠時間はきっと3時間未満ですね。ひょっとすると徹夜に近い状態かもしれません。

 ほかの先生方も児童の部屋見回り等で似たような状況だと思います。

 いよいよ今日、帰京してきます。低気圧が北海道に近づいていて航空便が欠航にならないか心配していたのですが、今朝の状態では帰京できる見込みのようで、安心しています。もっとも、低気圧の影響次第では欠航あるいは遅延等が生じるかもしれません、そのときは一斉メール配信します。

 現時点では帰京の見込みですので、そのつもりでお迎えのご準備をよろしくお願いします。私は出張ですので、お迎えにあがれませんが、ご了承願います。

(続きは、クリックしてご覧ください)

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【教頭レポートvol.03】北海道卒業記念旅行  /スキー教室第二日】

 教頭レポート第三弾です。このあと私が幼稚園に行かなければならず、そのまま午後は出張へ向かいますので、画像編集の余裕がありません。

 教頭撮影画像を生のままフラッシュ動画にしました。逆光などで見づらいものがあるかもしれません。ご容赦願います。

        ↓ 通しで5分。


 文章レポート

   ↓

スキー講習も無事終わりました。


子どもたちには、数人ほど軽いけがやちょっとした体調不良の子がいるにはいますが、皆元気ですのでご安心ください。


いよいよ帰京の日が近づきました。天候が気にはなりますが、一応対応策は立ててあります。 6年卒業記念旅行第3日目のレポートをお送りします。


 6年卒業記念旅行第3日目の朝は、雪がちらつく程度の曇り空です。昼食後に外気温を玄関口にある温度計で確認したところ、氷点下8度でした。風も冷たく、スキー日和ではありませんが、ロビー前に集合した子どもたちは、皆元気いっぱいです。

 この頃には、空も曇天から晴天に変わり、絶好のスキー日和になっていました。

 今日の講習は、まず全員がゴンドラに乗って、一気に頂上まで上がります。 頂上では、班ごとに写真を撮り、また、全員の集合写真を撮りました。

 その後は、1・2班は頂上から麓までスキーで降り、残りの班はゴンドラで降りて、いつもの場所に集合です。過去の例から、頂上からの眺めは富良野盆地を一望できるのですが、麓は晴れていても頂上は雪だったので、残念ながらその景色を眺める(撮影する)ことはできませんでした。

 第2日目の講習は、やっと迎えた晴天のもと、昨日の講習で習った技術が自信につながっているのか、各班とも最初からアクセル全開です。引率するインストラクターの皆さんも元気あふれる指導をされています。方や引率する教員の一部(?)は、あそこが痛いここが痛いと、なかなかゲレンデに出て行きません。やっとの思いで子どもたちに合流しました。

 無事午前の部が終了し、昼食をとるためにホテルに向かいます。今日の昼食のメニューは牛丼です。子どもたちは、相変わらず旺盛な食欲を見せてくれます。その後ホテルで体を休ませたのち、またゲレンデに向かいます。

 いよいよ、午後の部、スキー学校最後の講習が始まります。注意をしながら、各班ともチャレンジ精神で上のレベルをめざします。昨日と同様にたくさんの雪と冷たい風に遭いながらも、子どもたちは、最後まで講習に意欲的に参加していました。また、大きな怪我もなく、全員が無事本部に集合することが確認できたので、教員たちの心配そうな表情が、安堵の表情に変わりました。

 これから閉校式が始まります。教頭挨拶、富良野スキー学校の校長先生のご挨拶、児童代表挨拶、修了証の授与を行い、最後に児童全員でそれぞれの班を指導された先生方へ感謝のことばを述べて式は終わりました。

 ところで、閉校式では、スキー学校の校長先生が、北海道という名前で呼ばれるようになってから、来年は150周年にあたるというお話をされました。(明治二年)。

 ご存知のように、北海道はかつて蝦夷地(島)と呼ばれ、先住民アイヌ民族の文化の時代がありました。しかし、1869年に箱館戦争が終わると、明治政府は蝦夷地を北海道と改称しました。その後、明治政府は開拓使を設置し、屯田兵制度を設け、北海道の開発を推し進めていきました。校長先生のご先祖も、富山県から入植し、荒れ地を開墾して畑を切り開いたそうです。

 私事になってしまいますが、アイヌ文化といえば、真っ先に思い出すのが、アイヌ民謡の「ピリカ」です。私が小学生のとき(?年前)に、音楽の授業でアイヌ民謡の「ピリカ」を教えてもらい、その歌が今でも耳に残っているのです。かつて、「北海道一人旅」をしたとき、白老町のアイヌコタンでこの民謡をアイヌの人たちが民族衣装を着て歌ったとき、なぜか涙したことを思い出します。最近では、北海道産米の「ゆめぴりか」で思い出す方もいらっしゃるでしょう。

  ※校長注:教頭先生の小学生時代が何年前かって?それは、5×・・・・いや、やっぱり書かないでおきましょう(笑)

 また、スキー学校の校長先生は、講習期間中、雪の日が多く、気温が上がらなかったことを気にしていらっしゃいましたが、校長先生のお話では、実はスキーにとって気温はこの位がよく、氷点下10度、15度になってしまうと、雪の結晶がスキーの板に刺さって滑りが悪くなるのだそうです。私にとって、雪についての「初耳学」でした。

 その後、スキー板・ストックを業者さんに返却した後、大いに満足しながらも、まだやり足らないといった表情を見せながらホテルに向かい、入浴・夕食を済ませ、明日の準備を終えて就寝となりました。
                                 寺門 清貴




    この記事は以上です。

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