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○5年生が1年生をお世話してくれています
○元善光寺「つもり違い十ヶ条」

(校長発:平成29年4月12日水曜) 晴れ


 水曜日の朝は先生達が長い職員朝礼をやるので、こどもたちは教室で自学自習や課題学習、あるいは話し合い活動を自分たちだけで行います。その様子をみるために私が全教室を巡回します。

 3年生の私語がちょこっと聞こえたので、教室をのぞいて、「3年になって2階に上がってきたのだから、気持ちも2階の三年生らしくならなければ駄目でしょう。3年生の自覚を持ちましょう。」と声をかけると、すぐにシーンとなり、「はい!」という声も返ってきました。

 また5年生でも同じようなことがありました。やっぱり私語が聞こえるので、「2階から3階に上がってきたということは6年生と同じフロアということだよね。6年生は中学受験までもう一年間もないんだよ。5年生が6年生を応援するつもりで静かに学習しなければ、3階に上がってきた意味がない。」と話しかけると、全員がきりりとした表情に変わってうなづいてくれました。

 6年生の教室は両クラスとも集中して学習に取り組む姿がみられたので、「さすがだね。最高学年の自覚がありますね。」と声をかけましたが、全員、凛とした表情を向けてくれました。6年生は来週は奈良京都琵琶湖修学旅行。大いに学んで、また楽しんできてほしい。

 6年生教室廊下から丹沢方面をながめると、雲がたなびいているところに霊峰富士の冠雪頂上がちょこっとのぞいていました。

2017-0412-雲のたなびく富士.jpg

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【5年生が1年生をお世話してくれています】

 1年生の教室には毎日、5年生の当番児童がお世話に行ってくれています。
 きょうは両クラスとも紙芝居をやってくれていました。ありがとう5年生。

2017-0412-五年生が一年生のお世話.jpg

【元善光寺「つもり違い十ヶ条」】

 平成24年(2012)12月18日の記事で「つもり違い十ヶ条」をご紹介しましたが、それから6年以上もたつのに、記事アクセスしてくださった方がいらっしゃって、先日コメントをくださいました。

 私も幼児教室の先生がプリントしたものを持ってきてくださった折りにアップしたのでしたが、ここにあらためて再掲いたします。


    • 元善光寺とは今の善光寺のご本尊(善光寺如来さま)がもともと祀られていたお寺だそうです。長野県飯田市にあり、元は「坐光寺」(ざこうじ)と称していたのが、善光寺如来さまをお遷しになったあと、善光寺の元の寺ととうことから「元善光寺」と呼ばれるようになったとか。

        推古天皇の御代に創建されたといいますから、聖徳太子ご存命のときです。聖徳太子は日本仏教の開祖ともいうべき方ですから、元善光寺(坐光寺)の歴史は日本仏教の歩みにぴったり一致していることになりますね。 素晴らしいお寺です。  今でも所在地の地名として坐光寺がのこっているといいます(「飯田市坐光寺」)。

そのご住職が作られたという「つもり違い十ヶ条」がとても味わい深いもので、二行で一連をなす語句が五連つづいています。どのひとつをとってもなるほどと感じ入ります。 

ご存じの方も多くいらっしゃると思いますが、私の肝に銘ずるつもりで、以下、記しておきます。 一読再読をお勧めいたします。

 ※「つもり違い」を教え諭しているのに、それを「肝に銘ずるつもり」とは何事だ。つもりではなく肝に銘ぜよ・・とおっしゃる如来さまの声が天から聞こえてまいりました(汗)。 肝に銘じます。

【元善光寺「つもり違い十ヶ条」】

    • 高いつもりで低いのが教養
      低いつもりで高いのが気位
       
      深いつもりで浅いのが知識
      浅いつもりで深いのが欲望

      厚いつもりで薄いのが人情
      薄いつもりで厚いのが面の皮(つらのかわ)

      強いつもりで弱いのが根性
      弱いつもりで強いのが自我

      多いつもりで少ないのが分別
      少ないつもりで多いのが無駄

             (以上)

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