○4年5年6年新春書道展作品
(校長発:平成29年2月24日金曜) 晴れ ちょっと冷気あり
きょうは二子幼稚園の年長さんとのお別れ遠足でした。毎年、上野の国立科学博物館を見学します。地球の歴史、日本列島の歴史を生き物の移り変わり、進化を中心に見学するのですが、もうすぐとはいえ、まだ小学生ではない幼稚園児が食い入るように見つめる姿には、大人のこちらが教わるところがあります。
幼稚園と小学校と両方をあずかるようになってから、とりわけ強く思うようになっているのですが、幼稚園を含めて小中高大までの3?6?3?3?4の学制(入学ー卒業ー入学の繰り返し)は実によくできていると思っています。(つづきへ)
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(つづき)
幼稚園では年長さんは最高学年として本当に頼もしい存在で、お兄ちゃんお姉ちゃんとしての自覚のもと年中年少さんのお手本となるように立派な態度で過ごしています。
それが小学校に入学するとぴかぴかの一年生になり、2年生から6年生まで5学年にわたるお兄さんお姉さんがいるわけです。最下級生になります。幼稚園の年少のときのように実に弱々しい存在にもどってしまいます。
幼稚園では頼もしい存在として振る舞っていたのが、小学校ではお兄さんお姉さんを仰ぎ見て、尊敬の眼差しであれこれと教わることになります。そしてだんだんと成長して、高学年になると再び、お手本として仰ぎ見られる頼もしさを身に付けるようになります。
以上のことは、小学校6年生から中学校1年生、はたまた中学校3年生から高校一年生、高三から大学一年生というように繰り返されるわけですが、この繰り返しの節目々々で、「心の節目」が形成されると思うわけです。
幼稚園年少組から大学まで、のんべんだらりとした一直線の学制ではなく、しっかりとして節目が存在することが心に節目をつくり、社会の荒波を乗り越えていくしなやかさ、強さとなっていくのだと思います。 だから中高一貫校であっても中学卒業という儀式は必ず行うのは、単に学習指導要領に定められているからというのではない、心の節目を作るというところに理由が存在するのだと思っています。
なにはともあれ、今年の6年生も立派に成長して下級生の模範となってくれました。いよいよ三月を迎えます。卒業シーズンです。有終の美をかざって中学校へ進んでほしいと思います。
【4年5年6年新春書道展作品】
たいへん遅くなりました。4年生5年生6年生の新春書道展をご覧にいれます。
6年生のあとに、夕焼けに浮かぶ霊峰富士のシルエットを掲載しました。私が書道展の撮影にいったときに6年生廊下から目に入ってきた光景をおさめたものです。
あわせて、6年生廊下に掲示してある井上靖(作家・故人)の名句も入れておきました。
↓ 2分ちょっと
本日の記事は以上です。