○【後日詳報】ほらできたよ展(東初協 合同図工展)
○12日金曜日は5年生以下の教育懇談会(授業参観)
○父母の会活動(総務/文化部)
(校長発:平成28年2月10日水曜) 晴れ 寒冷
※本日、父母の会総務のお母様方がご来校、活動してくださいました。
また文化部のお母様方が朝の交通安全指導に立ってくださいました。
感謝申し上げます。
※明後日12日金曜日、5年生以下の教育懇談会です。 ご来校をお待ち申し上げます。
昨日、東初協一斉研修会で私は校長研修会に参加し白梅大学学長の汐見先生の講演を聴いてまいりました。 冒頭から話にひきこまれました。
先生は大阪府のご出身ですが、小学生のころ(1960年代・・・私と同世代でいらっしゃいます)、大阪湾がどんどん埋め立てられ阪神工業地帯が造成されるのを目の当たりに育った経験を語られました。 当時テレビアニメで人気のあった「鉄腕アトム」の世界が現出するんだという思いで、小学生の汐見先生は、わくわくした気持ちで工業地帯造成工事を見守ったそうです。
ところが、それから数年後、高校生になったある日、家の近くにある大仙陵古墳(だいせんりょう古墳・・仁徳天皇御陵と伝えられる古墳)の木立に棲んでいた(すんでいた)鳥たちが一斉に、ほんとうに一斉にわーーーっと飛び出す光景に出合ったそうです。その時から、汐見先生の考えに変化が芽生えました。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
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(つづき)
大仙陵古墳から飛び立った鳥たちは工場地帯から吐き出される煤煙(ばいえん)の苦しさに耐えかねて山へ逃げていったのでした。
科学の発達って何だろう?という疑問が芽生えました。 江戸時代の大江戸は人口100万人で世界一の大都会でしたが、その人口をまかなうために自然の木々を切り出しながらも、日本人は自然を破壊せずに共生する方法を知っていました。 それが工業地帯を作るようになってから、自然を破壊し始めた日本人。
そういう疑問が大学に入ってからも膨らんでいった末に、汐見先生はせっかく入った理工系の学部止めました。 科学って何だろうか?という疑問が消えなかったわけです。
自然を破壊する社会を作り替えるには、「人間を育てる」ことから始めなければならないと、教育学の道へと転身されたのだそうです。
以上の話を枕に、子育て、教育に関するさまざまなお話しを聞かせていただきました。その一端を12日の教育懇談会の折りにお伝えしたいと思います。
6年生保護者の皆様にも、当日本ブログでお伝え致します。
【【後日詳報】ほらできたよ展(東初協 合同図工展)】
2月1日に展示が終わった「ほらできたよ展」の詳報をしていませんでした。
針生先生が撮影してくださいましたので、きょうは全体像をご覧いただくことにし、詳報は後日あらためてご覧に入れます。
(本日の記事は以上です。)