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○やっと晴れた!
○【朝の会・朝学習】2年生以上の上級生らしい立派さ
○板橋前教頭先生の教頭離任の辞

(校長発:平成27年4月15日水曜) 晴れ


     きょうは私がこれから幼稚園に行きますので、お昼にアップしております。

    ※きょうも文化部のお母様方の交通指導のほか、総務の皆様が父母の会会計のことで
      ご来校いただきました。旧会計のお母様もお手伝いくださったようです。

      また、厚生部のお母様がたが今日も給食チェックに来てくださいました。

      父母の会活動に感謝申し上げます。

 きょうは久しぶりにお日様が顔をのぞかせてくれ、校庭も水はけも良いので、20分休みになると、こどもたちが「校庭で遊んでいいですか?」と聞いてきました。

 教頭先生が全校放送で、「きょうは校庭あそびが出来ます」と放送を入れると、大勢のこどもたちが、大きな喚声をあげ、一斉に校庭に飛び出しました。

 やっぱりこどもたちは元気はつらつ、思いっきり身体を動かすのが大好きなようです。

 お日様に感謝したいと思います。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【立派な上級生】

 きょう水曜日は長い職員朝礼の日。 各学級ともこどもだけで朝学習や朝の会を行う日です。先生方にかわって私が校内巡回しながら、こどもたちに声をかけました。

 1年生は5年生のお兄さんお姉さんが面倒を見てくれているのですが、2年生以上は自分たちだけの朝の会です。 始業式入学式後の最初の水曜日でしたから、少々しんぱいしながら回ったのですが、まったくの杞憂(きゆう)でした。

 2年生以上は全クラス、実に静かに朝学習や朝の会を進めていて、とても感心致しました。新任の先生のクラスも落ち着いて

【板橋前教頭先生の教頭離任の辞】

 前教頭の板橋先生は、この3月をもって定年退職されましたが、あらたに本校非常勤講師陣に加わっていただき、高学年の算数専科、6年生の国語特別講義、演劇クラブ等の指導をしていただきます。

 その板橋先生に投稿をお願いしましたのでご一読願います。

 ↓ 新たな「居場所」・・・算数教室でお仕事をされる前教頭板橋先生です。


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         教頭退職にあたって

前教頭 板橋昭夫

 「月日は百代の過客にして 行かふ年も又旅人也」

38年間お世話になった御校を去る日がとうとう来ました。大学闘争激しいころ、やむなく大学を二つ通過して御校に勤め始めたのが昭和52年私が27歳の時でした。

時の校長(重永校長から数えて6代前の校長)は、面接後に校内に私を案内しがてら、

「この学校は、学級定員が満たないので、もの足りなく思うかもしれませんが、いらしていただいたことに感謝します。」

と、申し訳なさそうに校庭の桐の木を眺めていたのが忘れられません。

私が走馬灯のように思い出すのは、担任として勤めていた20数年間の子どもたちとのやりとりです。

多くの場面が哀愁として漂う中で、44歳の教え子(私の赴任6年目の卒業生)が私の退職を聞き知って、

「卒業時の色紙に板橋先生が書いてくださった『人から愛されることを望むより、人を愛することを志す者になれ』が、私のその後の人生でどんなに身に染みたか」

と、エールを送ってくれたF君。

私は、当時、きっと子供から好かれる教師になろうと慢心して、奇をてらった授業をしていたに違いありません。

上の色紙に書いた言葉の「人」を「子ども」に置き換えてみると分かるのですが、赴任6年目にして「子どものためになる」教えをしようと、私自身を変えようとしていたのでしょう。

子どもたちが鏡となり私という教師が成り立ち、先生たちとの相乗的な触れ合いの中で、今の私があります。

今思えば、この40年余りの歳月は、「光陰矢の如し」といった感があります。

今でも、初任の時に訪れた八ヶ岳林間学校の光景が

「先生、先に行かないで」

と呼び止める女の子の声と一緒に、まざまざと記憶に蘇ってきます

私事で、他の教員の皆さんを差し置いてそそくさと帰らなければならなかったときのお詫びと、私を教頭として育てて下さった重永校長先生はじめ教員の皆様への感謝から、また温かい目でお付き合いくださった保護者の皆様への感謝から、これからも講師として本校に残り、子どもたちに学力を付けるというお返しをして参るつもりでおります。

老兵でありますが頑張っていきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

以上

 



          本日の記事は以上です。

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