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第6回都市大グループ放射線量計測を実施
@今日は8月6日広島原爆忌

(校長発:平成25年8月6日火曜) 晴れ後曇り、一時雨

    • facebook公式ページ(本日の記事:事務長発「都市大G放射線量計測」)
      本日の「先生ブログ」の記事も事務長発facebookと同趣旨の記事です。

  ※夏休み15日目 規則正しい生活で充実した夏休みを続けてください。

 今日は、続きへすぐにお進みください。

(続きは↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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※以下、二子幼稚園の先生ブログに書いたものとほとんど同じです。二子幼稚園でご覧いただいた方は、最後の「フラッシュ動画だけご覧ください。

きょうは広島原爆忌です。三日後には長崎原爆忌がやってきます。その6日後が終戦記念日。あの年から(といっても私も生まれてはいませんでしたが)68年目の夏です。 都市大っ子をはじめ皆様が平和のうちに毎日を過ごすことができるよう祈りたいと存じます。

 私が小学校4年(10歳)のとき、日清日露の戦争はそのときから70年前と60年前の出来事でしたが、はるか歴史のかなたの戦争のように思えていました。

 ♪ 日本の 乃木さんが 凱旋す すずめ めじろ ロシヤ ♪ で始まる日露戦争のときの「戯れ歌(ざれうた)」を子供ながらに歌っていたのを覚えていますが、意味など何のことやら知ろうともせずに歌っておりました。 今はとてもじゃないがロシア差別、中国差別と指弾される歌詞でおおっぴらに歌うことはできません。(※それで、ロシヤ...の後の歌詞はここにも掲載いたしません。)

 でも、そんな歌がまだこどもの世界でも歌われていたのですから、私らが遠い歴史の彼方のことと思っていたとしても、60年や70年という歴史の流れはまだまだ風化してしまうものではないのかも知れないなあと、この歳になって思います。

 今の都市大っ子たちにとって、68年前の戦争(第二次世界大戦)は、そういう意味で語り継がれなければならないものだと思います。この間、日本は自分の手では二度と戦争を起こさない国づくりを進めてきたわけですが、これからも、こどもたちのためにそうありたいものです。

 日清日露戦争から数えて60年70年後の私らの子供時代は、その間に世界大戦を二つはさんでいますので決して平和が続いた6ー70年ではなかったわけですが、今の日本のこどもたちにとってはずっと平和が続いてきているわけで、孫子の代までこれを続け受け継がせていく責務が私ども大人にはあります。

 世界を見渡せば、きな臭いところだらけですし、日本を取り巻く環境も安穏(あんのん)としたものではありませんので、なんとしても平和を維持する方法は何かを、喧騒にわたる対立をしないで冷静に考えていく必要があります。 私はこれからの一週間あまり、毎年、そんなことを考えながら過ごすようになってから久しくなります。

【第6回都市大グループ放射線量計測を実施】

 前置きが長くなりました。広島原爆忌の今日、第6回目の都市大グループ放射線量計測が実施され、午前中に本校にも都市大原子力研究所の三橋先生、岡田先生をはじめスタッフの皆さんがお出でくださいました。 本日もすべての計測地点において安全値でした。

 ご存じの通り、3・11の東日本大震災大津波にともなう福島第一原発事故の後から、都市大グループとして毎年二回ずつ実施しているものです。 最初の回から低線量で安定しており、どの回も安全が確認されているのですが、定点調査として今しばらく続けることにしております。都市大グループの危機管理、安全対策の方針にご理解いただきご安心願えればと存じます。

 これまでの計測結果は「先生ブログ」およびホームページ新着情報の「過去の情報」欄にすべて掲載しておりますので、ご覧ください。「先生ブログ」では「サイト内検索」に「放射線」と打ち込めば、全ての計測のようすをご覧になれます。

↓ さて今日の様子をフラッシュ動画にしましたので、ご覧ください。今までの調査と比較できるよう、まったく同じ定点調査です。またこれまでと同じく水や土、砂なども持ち帰って分析してくださいます。

               ↓ 1分50秒

                以上 

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