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○運動会写真傑作選(その1)
○五島慶太先生の生家@創立記念日にちなんで

(校長発:平成25年5月31日金曜)

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      (本日の記事:3年生の社会探検、創立記念日、都市大横浜キャンパス祭)

 本日、3年生が成城学園前駅周辺まで「社会探検」に行きました。 週明けにご報告致しますが、きょうで第3回となります。最初は学校下のサミット周辺、二回目が成育医療センター付近、そして今日です。

 さて、明日からの週末は連休となりますが、その初日の6月1日は本校創立記念日です。創立者の五島慶太先生のことをご紹介して記念日を祝いたいと思います。

 続きに「五島慶太先生の生家」の写真とともに、慶太先生のことを少々書きましたのでご覧ください。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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【運動会写真傑作選(その1)】

傑作写真と言いましても私が撮影した中から私が良い「絵」だと思うものを選りだしたものですので、ご了解願います。力走姿などを収めてあります。

また、運動会の応援に来てくれた卒業生の写真も何枚か入れてあります。

 その1ですので、今後も続けます。

      ↓ 50秒

 

【創立者五島慶太先生の生家】 

 創立者五島慶太先生の生家は、風雪150年を超えて建築当初の姿のままに信州の地に残っております。
  (下の写真)

 私は何度か訪問しておりますが、今の住所でいえば、長野県小県郡青木村殿戸地区というところです。

 五島慶太先生のご子孫はご長男の五島昇第二代理事長をはじめとして代々東京にお住まいですので、お隣のUさんという方がこの生家を買い取られ、五島慶太先生の縁(よすが)として保存管理してくださっています。ありがたいことです。

 五島慶太先生は昭和14年の東横商業女学校創立を皮切りに教育事業に心血を注がれ、昭和30年、学校法人武蔵工業学園の経営を引き受けて発展させるという事業に足を踏み出されたわずか4年後に亡くなりました。

 武蔵工大系と東横学園系を束ねる学校法人として五島育英会を設立されたのも亡くなる4年前のことでした。

 その後すぐに、東横学園女子短期大学を創立されたり信州電波専門学校を合併されたりと、今日の東京都市大学グループの基礎を作られたわけです。

 実は、教育は五島慶太先生の青雲の志です。先生の社会人としてのスタートは青木村の尋常小学校の代用教員です。その後、三重県の四日市商業学校の英語科の教授となられました。熱血あふれる青年教師だったそうです。しかし、やっぱり東京帝国大学で学びたいと志されて帝大に進まれました。卒業後は、ご存じのとおり官界実業界でご活躍なされ東急グループを築かれたたわけですが、今の都市大グループは五島慶太先生の若き日の熱情の賜物ともいえます。。

↓ 五島慶太先生の生家(長野県小県郡青木村殿戸地区)

  ※2階が慶太先生の勉強部屋です。この部屋からは深夜までランプの灯がもれて見え、慶太少年が英語を音読する声が聞こえていたそうです。

 

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         以上

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