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○ミクニレッスン4桜(1月21日)=ゲスト藤野真紀子先生                               ○5桜「立松和平『一生懸命の卵』を読む                             ○児童の様子

(校長発:平成25年1月22日火曜) 天気 雨

 雪の予報がはずれ、雨に終わりましたね。

 児童も通常登校できて何よりでした。

 本日、通用門常時閉鎖に関するお知らせを児童に持たせましたのでご一読願います。明日の本ブログでも大要を掲載したいと存じます。

(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)

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 【1月14日の雪】

きょうは雪が降らずに嬉しく思いましたが、14日の成人の日に出勤した三輪先生が、その日の学校に降りつもる雪の風景を撮影してくれていました。

九州出張等で掲載を忘れておりました。本日の雪なしのかわりに(?)掲載しておきます。雪国のような風景ですね。

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  ※上で、「雪が降らずに嬉しい」と書きましたが、私が「雪が降らずに嬉しい」という表現を
   したのは私の人生で初めてのことです。南国育ちゆえ、私は雪が降るとこの年齢になって
   も心躍るものがあります。
    それが、先週の給食車立ち往生、成城バス渋滞などで児童に大変な難儀をかける
   ことになったために、今回は昨日から「大雪でなければ良いけどなあ」と思っていた気持ち
   がそうさせました。ああ!

【友達サインキャンペーンと児童のようす】

 2013-0122hoshigaki & tomodachi-sign.jpg

児童会が企画してくれた「友達たくさんサインキャンペーン」で、きょうも大勢の児童が全校中をかけまわって、お互いに自己紹介とサイン交換をしています。 私のところにも昨日から大勢の子がやってきて、「私の名前は○○です。好きなことは□□です。」といって、私のサインを求めてきます。

 自己紹介の前にハイタッチをするのがルールというのを忘れてサインだけを求める子もいて、そのときは、「ハイタッチをしてからだよ」とうながしたり、サインをもらうとさっさと帰ろうとする子もいて、それには「握手で終わらなければ友達になれないよ」といって握手をさそっていますが、実にたのしい企画だなあと思います。

 きょう下級生から上級生まで大挙して校長室にやってきて人垣をつくっていると、「校長先生はいらっしゃいますか」と、おそるおそる入室してきた1年生の女の子がいました。

 上級生が「いらっしゃるよ」と声を返してくれたのには感心しましたが、私のサインを求めにきたのだろうなと思ったところ、そうではなくて干し柿を差し出してくれたのです。

 土産話に来てくれたのですね。土産話に来てくれた子たちは今まで写真を撮っていますので、今日もカメラを向けました。それで、友達サインを求めに来た子もいっしょに合同写真に致しました。

 そして、昨日、友達サインを求めにきた子たちも写してあげれば良かったかなと反省した瞬間でした。

  ↓ 干し柿 

  2013-0122hoshigaki2.jpg

【ミクニレッスン4桜(1月21日):ゲストティーチャー藤野真紀子先生】

 昨日のミクニレッスンの様子を、きょう(桜組)と明日(桐組)に分けてアップいたします。

 藤野先生はとてもチャーミングな話しかたをされる方ですが、本校児童の反応の良さに、随所で三國先生に向かって「なんと頭の良い子たちでしょう」と褒めてくださいました。ありがとうございます。

 料理研究家、またパティシエールとして高名なばかりか、各方面でのご活躍でいらっしゃいますが、まことに謙虚なお人柄がかもす雰囲気がこどもたちの心をつかんで、あっという間の授業時間でした。

 お昼もこどもたちといっしょに給食の席にすわっていただき、こどもたちにとっては、忘れられない一日になったことでしょう。

         4桜のミクニレッスン

             ↓ 2分半

【5桜:校内公開授業:「立松和平『一生懸命の卵』を読む】

本日、学習設計部主催の校内公開授業が行われました。積極的に授業を公開して、教師としての授業スキルアップにつなげようという試みです。 児童も大勢の教師に見守られるなかで授業を受けることは集中力アップの鍛錬になりますので一石二鳥です。

      ↓ 短いですがフラッシュ動画をご覧ください。 

 授業は小説家立松和平さんの「一生懸命の卵」を読んで話し合う授業でした。単元は「文学作品を読む」です。 小学生のときから「文学」に触れるというのはとても大事なことですね。

 私は「つぼみ」巻頭にも書いたことがありますが、読書好きな小学生ではありませんでした。今でこそ本なしでは生きられなくなっていますが、小学生のころから読書にふけっていれば、その後の人生がもっと豊かになっていただろうなと後悔しています。

 文学作品の読み方は当然人それぞれであって良いし、入試問題の答えについても、出題作品となっている当の作家自身が「答が分からない」というようなことが往々にしてあり、それでも出題者は正解を用意していますので、それを見抜かなければならないので、文学作品を読むということには、なかなか難しいところがあります。

 しかし、入試問題として文学作品が成り立つのは、実は、文学作品というものは、ひとたび作者をはなれて世に出た瞬間、独り歩きをする性格をもっているからです。 一人歩きするからこそ、優れた評論家によって読まれ、その評論によって作家すら思いもかけなかった光彩を放つことがあるという性格をもっています。

 だから、優れた読み手になろうと思ったら、小説だけを読んでいるのではなく、その評論も読むことが大事になってきます。

 だから「文学を読む」という行為は、作家と語り合うというにとどまらず、読者同士がお互いに読んだ感想を話し合うことで、より深い理解と思いがけない教養の深まりを示すものです。

 そういう点で、授業者の秋山先生が言ったことばはとても大事に思いました。その台詞はフラッシュ動画に書いておきました。ご覧ください。

  ※「文学も入試問題として成り立つ」といっても、世の入試問題には悪問がありますから、
   過去問を勉強するときには先生の指導が必要になってくるわけですね。                      
 

                 以上

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