クーベルタンのオリンピズム/日本オリンピック委員会の父「嘉納治五郎」と五島慶太
(校長発:平成24年7月28日土曜) 天気 晴れ
ロンドン五輪の開会式を昨日の夜(27日夜)と書きましたが、正確には今朝(28日早朝)でしたね。 27日開幕というのは現地時間の27日でした。訂正しお詫びします。
開会式では、フィナーレで元ビートルズのポール・マッカトニーさんが「ヘイ・ジュード」を大観衆とともに歌いあげたのをみて「英国ならやっぱりビートルズ!」と今更ながらに感心しつつ、私どもの世代には感無量のことでした。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
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聖火点灯も圧巻でしたね。聖火が同心円をえがきながら次々と灯って行くのをみて、「聖火台をこんなに広くとるなんて初めてのことだな?」と思っていると、それらが次々と天に昇り始め、アナウンサーが、一つ一つの灯の支柱には世界204カ国・地域の名前が刻まれていると紹介しました。
やがてそれら204の灯が天空で一つの火として一緒になる・・・つまり世界が一つの火になる・・・という演出でした。 味なことをやるなあとここでも感心しました。
エリザベス女王陛下が開会宣言なさいましたが、女王即位60年の今年にロンドンオリンピックを招致した英国オリンピック委員会も「なかなかにくいことをしたものだ」と敬意をはらいたくなりました。
オリンピックについて「功罪」あれこれ言われることもありますが、やっぱりオリンピックはなかなかのものです。
※日本選手団入場のとき最後尾にテニスの錦織圭選手の姿を見つけて、
将来のオリンピックに川上倫平選手の姿をこうやってみることができるかも
しれないと思ったことでした。
【クーベルタンのオリンピズム】
昨日の記事に「1年生お母様」よりコメントをいただきました。
コメント欄をご覧いただけばお読みになれますが、「オリンピズム」について触れていただいてますので、大要、ここに引用してご紹介します。
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- クーベルタンの提唱した「オリンピズム」
「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)・・・・・(JOCホームページより引用)
という言葉とその意味は、都市大っ子ならきっと理解できるものと思いますので、何かの折にご紹介いただければと思い・・・・・・お願いする次第です。
JOCのホームページに詳細がのっております。
私がこのような事を知りましたのは、知人のお嬢様が現在ドイツでサッカーコーチの勉強をされており、その方のブログで紹介されていたからです。
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都市大っ子には、ぜひ一歩踏み込んだ内容を知っていてほしいという願いをこめております。
コメントにしたがって探してみました。オリンピズムについて子供向けの説明がJOCの次のサイトに載っています。お子様にもご紹介ください。
また、オリンピズムの根本原則を今日の記事の最後にまとめて掲載しておきますので、ご参考になってください。
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古代ギリシャにおいて都市国家の選手たちが四年に一度あつまって開く大競技会が古代オリンピックで、オリンピックが開かれるときは戦争している都市国家も休戦する約束になっていたといいます。
この古代オリンピックを、19世紀末に世界規模の「近代オリンピック」として復活させたのがクーベルタンです。
近代オリンピックを創設するときのクーベルタンの精神を「オリンピズム」といいます。
単に国際競技会というだけでなく、 「心身の調和のとれた人間育成」 「五大陸すべての世界平和の実現」 「差別に反対し、友情と連帯、フェアプレイの精神をつちかう」 ことなどが、その根本原則にうたわれています。 五輪のシンボルマークはそのことを表しているわけです。
昨日の記事では「参加することに意義がある」ということを紹介するとともに、「よく戦う」ということも大事だということを強調しただけでしたが、1年お母様のおっしゃるとおり、オリンピズムということが一番大事ですね。 コメントをいただき厚く感謝申し上げます。
ところで、「オリンピックと日本」を語る時に欠かせないのが加納治五郎という方ですが、この方は本校創立者の五島慶太先生と深い縁のある方ですので、以下、そのことをご紹介しておきます。
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【日本オリンピック委員会の父=嘉納治五郎と五島慶太】
※以下敬称略
日本オリンピック委員会の父は、講道館柔道の租である嘉納治五郎(1860年生まれ)です。
現在のJOC(日本オリンピック委員会)は、加納が1911年に大日本体育協会を作ったのが始まりです。
実は、嘉納治五郎は日本オリンピック委員会を作る前から、いや、日本選手が一人もオリンピックに参加していない段階においてといったほうが正確でしょう、つまり、日本人とオリンピックがまったく縁もゆかりもない段階において、1909年、駐日フランス大使を通してクーベルタンより「国際オリンピック委員会(IOC)」の委員に就任するよう要請されて就任しています。嘉納治五郎という人はそれほど国際的に注目されていた人物だったのです。
その後、嘉納治五郎は日本選手を参加させることに奔走するとともに(そのために作ったのが大日本体育協会でした)、1940年東京オリンピックを招致することに成功しました(実際は戦争のために中止の憂き目にあいましたが)。
このような嘉納治五郎から親しく教えをうけた人に、都市大グループの創立者である五島慶太がいるのです。五島慶太(1882年生まれ)は、青雲の志を胸に1901年上京し、東京高等師範学校(現筑波大学)に入学しましたが、そのときの校長が嘉納治五郎でした。まだ40歳をこえたばかりの若き校長です。
五島慶太は、この嘉納治五郎校長から「修身」(倫理)の授業を直接教わりました。
嘉納校長は、この講話において、毎回、同じフレーズを強調したといいます。
それは・・・
「人間たるもの、『なあにの精神』(なあにくそ、これぐらいのことでへこたれてたまるか)をもって事にのぞむことが一番大事である」
ということだったそうです。
その後、五島慶太は東京帝国大学(現東京大学)に入学しなおしますが、学資に困って、嘉納治五郎校長に相談をし、家庭教師の口を紹介してもらっています。
オリンピックにゆかりの深い嘉納治五郎と本校創立者五島慶太の深いえにしを知ると、このたびのロンドン五輪を見る目がまたちがってくるのではないかと思い、以上、ご紹介いたしました。
以上のことは、いま執筆中の「五島慶太伝」にも盛り込む予定です。
【オリンピック憲章より・・・オリンピズムの根本原則】
1 オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。
スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。
2 オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
3 オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体による、IOCの最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。
それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。
そのシンボルは、互いに交わる五輪である。
4 スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。
5 スポーツが社会の枠組みの中で行われることを踏まえ、オリンピック・ムーブメントのスポーツ組織は、自律の権利と義務を有する。
その自律には、スポーツの規則を設け、それを管理すること、また組織の構成と統治を決定し、いかなる外部の影響も受けることなく選挙を実施する権利、さらに良好な統治原則の適用を保証する責任が含まれる。
6 人権、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。
7 オリンピック・ムーブメントに属するためには、オリンピック憲章の遵守及びIOCの承認が必要である。
(以上)