生誕130年@創立者五島慶太先生の志を受け継ごう
(校長発:平成24年4月18日水曜) 天気 晴れ
- きょうは朝のうちにアップしております。私が、今から創立者五島慶太先生の墓参に行き、そのまま都市大Gの学校長会議へとなりますので、帰校できないからです。
昨日17日記事を未読の方はそちらもご覧ください。
月曜日の全校朝会で児童にお話しましたとおり、きょう4月18日は、本校と都市大グループ校の創立者五島慶太先生の誕生日です。ありえないことではありますが、御健在であれば満130歳を迎えられます。(明治15年(1882)4月18日生誕)
きょうは五島慶太先生の遺徳(いとく)をうけて特集と致します。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
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【静か大賞】
きょうも、職員朝礼のあいだ、全教室とも大変すばらしい朝を迎えていました。全校「静か大賞」で「真剣大賞」です。
1年生は5年生にお世話してもらいながら課題に取り組んでいました。
2年生、3年生、4年生とも静かに読書していました。
5年生と6年生は5月の生活目標などの話し合いを真剣にしていました。
- そして、「きょうは何の日?」と私が問いかけたのに、
「玄関の写真の人の誕生日です」とか
「創立者の人の誕生日です」とか
「五島慶太先生の誕生日です」とか
「創立者の五島慶太先生の誕生日です」とか、
はたまた「創立者の五島慶太先生の130年目の誕生日です」
という答えが返ってきました。
上級生になればなるほど、丁寧でくわしい答え方をしてくれましたので感心しました。
【五島慶太先生ゆかりの写真】
16葉の写真をご覧に入れます。
いま、「五島慶太伝」を編纂中ですが、年末に五島育英会・都市大Gとして刊行予定です。読みごたえのあるものに致しますので、お楽しみにお待ち願います。
↓ 肖像写真。五島慶太先生の写真のなかでは一番温和で、私の好きなものです。
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以下は数年前、私が撮影したものです。
↓ 五島慶太先生が産湯をつかい少年時代までを過ごした長野県小県郡(ちいさがた郡)青木村殿戸地区の公民館。
故郷をおもう気持ちあふれる五島慶太先生が寄贈されたものです。
いまは建て替えられていますが、創建当時の姿をのこしています。
↓ 青木村につくられている「五島慶太記念公園」
石碑のうらに刻まれた碑文。ご長男の五島昇第2代東急社長(故人)の手になるものです。
↑ 碑文:
- 五島慶太翁は、当青木村に生をうけ、恵まれた自然環境と慈愛あふれる父母の薫陶のもとにその資性は剛毅闊達(ごうきかったつ)で、よく刻苦精励(こっくせいれい)し、又はなはだ篤信家(とくしんか)であった。後に請われて運輸通信大臣に就任する等、官民各界にわたり多大の業績を残した。 ことに東京急行電鉄株式会社を核とする東急事業団の総帥(そうすい)として幾多の事業を興し、社会に寄与した。ここにこれを永く世に顕彰するため、顕徳碑を建立する。
昭和56年8月 東京急行電鉄株式会社 取締役社長 五島昇
(一部、旧漢字を仮名になおし、また常用漢字に直しました)
↓ 記念公園のまえの田園風景。こういう風景のなかで育ちました。
↓ 殿戸地区に今ものこる五島慶太先生の生家。
↓ 村一番のお百姓だったというだけあって立派な作りです。石垣にご注目ください。
↓ 生家の囲炉裏(いろり)。慶太先生の子供のころのままに残されています。
信州の寒い冬をこの囲炉裏の火であたたまって過ごしたのですね。
五島慶太先生が上田中学校に通学した道。片道12kmを山道を越えて通いました。
↓ 山の峠から遠く上田市の町並みが見えます。
↓ 五島慶太先生が片道12kmを通った上田中学校(いまの上田高校)
真田十勇士で有名な上田城のなかにあります。
以上ですが、五島慶太先生による建学の精神を記しますので、かみしめていただきたいと思います。
すこやかに かしこく りりしく凛として 世界に羽ばたく 気高きこどもたち
本当の建学の精神はもっと長い文章です。その中の五つのキーワード「健康、風格、知性、独立自尊、宗教的情操」を小学生に分かりやすい言葉で表したのが、本校の建学の精神です。
(以上)