三つの研究・公開授業/放射線防護学講演@東初協研修会
(2月10日金曜:校長発) 天気 晴れ
きょうは、研究授業と公開授業を三教室で行いました。
1校時:3桜の国語、1ー2校時:3桐の社会科、4校時:4桐の国語
私も全部、拝見しましたが、子供たちが生き生きとしており、大変うれしく思いました。
本校の先生は、子供たちによりよい授業を提供するために、お互いの授業観察・研究を精力的に進めています。今年度は、初任者の先生の研究授業をのぞいても、すでに13授業にのぼります。
夏休み等の長期休業や学校行事などをのぞいて考えると、平均二三週間おきに研究、公開授業を実施していることになります。このような小学校はそう多くないと自負しております。
こんな先生たちの授業に集中すれば、必ず大きな成長をとげることができますので、子供たちにはがんばってほしいと思います。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
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【3桜・国語の研究授業】
全部は編集できませんでした。
三クラスのうち、3桜の一つだけアップしておきます。あとの教室は後日をお楽しみに。
↓ ↓ 約2分です。
【東初協研修会】
昨日の東初協の半日研修会、先生たちは別々の会場校で実施された教科部会にそれぞれ分かれて研修しましたが、私は、白百合学園小学校で行われた家庭科部会に参加致しました。
校長がなぜ家庭科部会?と思われるでしょうが、同部会の研修会が「放射線防護学」の立場から「子供をいかに放射線から守るか」の講演だったからです(日大野口邦和先生)。
放射能・放射線と放射性物質の関係、ベクレルとシーベルトの違い、半減期の問題とヨウ素、セシウムやストロンチウムなどについて、それらが今どうなっているか、原発事故が起きておよそ一年ちかく、いま何を恐れなければならないか、いま安心して良いのはどういうことかなどについて、丁寧な講演でした。
あらためて、本校がこれまでとってきた方針(震災直後4日間の臨時休校、その間いろいろな想定シミュレーションをして、卒業式から修了式まで完全実施、その後も毎日放射線量チェック、都市大と提携して放射線量計測、保護者アンケート・・・などなど、正しい情報収集に努力しながら、いたずらに恐がらず、しかし危険回避は正しく行うというもの)が正しかったことを確認できた講演でした。 そういう意味では大変意味がありました。
いま現在、東京や神奈川は放射性物質で高濃度汚染された食材にさえ注意すれば、安心して生活して良いレベルであり、また今後とも安心してよいであろうとのことでした。
↓ 家庭科部会の研修会が行われた白百合学園小学校。
九段にあります。新築まもないことがうかがえる奇麗な校舎でした。
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↓ 正門
↓ 来客用エントランス。子供たちの昇降口は別のところのようでした。
↓ 校庭はアンツーカーでした。
↓ 白百合学園小学校は、靖国神社のすぐお隣です。私は、静かなときにお参りすることを旨としていますので、研修会後、お参りしてきました。
昨年、私は四谷の学習院で行われた研修会に参加した折、その周辺を本ブログにアップしましたので、その習いで、靖国神社の写真をアップしたまでですが、それにしても、この靖国神社は、A級戦犯合祀のことがあって、政治レベル、国際レベルでは議論かまびすしい神社でもありますから、本校の校長がそこを参拝するなんて・・・と思われる人がいらっしゃるかもしれませんので、私の考えを披歴しておきます。
まず最初に、私は教員になった三十数年前から 「子供たちを戦争の惨禍に導くような教育は絶対にしないということを誓ってきている」ことを申し上げておきます。
そのうえで、私は個人的に、戦争関連で亡くなった人々を祭る靖国神社は、千鳥淵墓苑と同じように、「戦争のたたかいのなかで犠牲になられた人々に額づく(ぬかづく)ことができる場である」という意味で大事な神社だと思っています。
もちろん、「A級戦犯合祀がどうも・・・」というお考えの人々は参拝できないでしょうし(昭和の天皇陛下ご自身もそうであったと報じられることがありますね)、私は、そのことに対する理解も持っております。
外国を勝手に軍靴で踏みにじることがあってはならぬということも、若いころから私の思想の重要な一部になっていることも申し添えておきます。
そういう理解や考えのうえでなお、私個人は、最後に述べるように、どうしても靖国にぬかづく気持ちを捨てることができないのです。
※ちなみに、「A級戦犯」の「A級」というのは、「一番ひどい」という意味ではありません。
「平和に対する罪」という意味で、当時の国際法の概念にはなかった考え方です。
また、現代においても戦勝国の指導者が「平和に対する罪=A級戦犯」に問われる
ことはないという意味で、公平公正な国際法という点で疑念を呈する学者もいます。
※また、靖国の遊就館にゼロ戦や兵器が飾られていることをもって戦争賛美というのは
当たらないと思っています。そこに祭られている御霊が生前、どういう環境下で
亡くなられたのかを追体験するためのもので、それを見ることで、ふたたび戦が起こら
ないよう、起こさないように私どもが努めるようにするためのものと思うのです。
いろいろな神社に、武人の刀や兜が奉納されている例がありますが、それと同じ
考え方だと思っております。
↓ 最後にかかげるのは、靖国神社境内に飾られている陸軍伍長の娘たちへ寄せた手紙です。
哀切なものがこみあげてきます。
文末のことばを特記しておきます。
「身体を大切にせよ。自分の身体と思ふな。世の為、神様より御預かりして居る
ものと思へ。では、父はお前達を何時も守って居るよ。」
こういう文章を書かれた人の前に私はぬかづかないわけにはまいりませぬ。
(以上)