創作寓話「米と麦」
(1月13日金曜:校長発) 天気 快晴
今朝も気温は0℃でした。寒さにお気をつけください。
その寒さのなかで、きょうも競書会に取り組む子供たちの姿が見られました。
きょうは、3年生と5年生。
5年生の競書会は、ちょうどお出でになっているお客さんの用が終わらずに、見学鑑賞に行けませんでした。大変残念でした。 でも 担任の先生方に写真をいただいて、ほかの学年の皆さんと合わせて、来週掲載してまいります。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
きょうはブログ作成の時間がまったくとれませんでした。
でも、毎日更新を楽しみにしてくださっている方々のことを思うと、アップしたくなります。
私は前任校の卒業文集に、毎年、自分で作った寓話(ぐうわ)を掲載していたのですが、そのうちから一篇をコピーして、ご覧に入れようと思います。
低学年の小学生が読めるように、多くの漢字をひらがなに直しましたので、児童の皆さんも読んでみてください。
【米と麦】
平成九年の創作
こめ と むぎ。このふたつは「ほ」のつきかたがちがう。
いね(こめ)は みがつまればつまるほど、「ほ」の重みでたわんでくる。けっして かっこうよいすがたとはいえない。
むぎは「ほ」のせすじを まっすぐにのばして、たわむことはない。かたいヒゲもたくわえて、どうどうとしている。天にむかって すっくり立つすがたは みばえが良い。
あるとき、むぎが いね(こめ)に話しかけた。
「いね君、きみは せいじゅくして みがつまるにつれて なぜ 頭をさげるのか?
きみのおかげで、人間どもは さむい冬を うえじにしないですむのじゃないか。
そんな人間に あたまをさげるようなこと するなよ」
いね(こめ)は しつもんには こたえずに つぎのように言った。
「むぎ君、大人になって きみが かたいヒゲをつけて、天にむかって どうどうと
立っているすがたをみて、ぼくは そんけい しているよ」
むぎはいばって言った。
「あたりまえだろう。人間は おれさまのおかげで、パンやうどんを食べられるんだぞ。
それなのに人間は、こどもじだいの おれを足でふみつけやがる。
それも さむい冬のまっさいちゅうにだぞ。人間は おんしらずだよ。
だから おれは人間には ぜったいに頭をさげないことにしているのさ。
人間が おれの はたけに入ってきたら、かたいヒゲで 少しいたい目に
あわせてやるんだよ」
それをきいた「いね(こめ)」はちょっとこまった。そして むぎに つぎのように かえした。
「そりゃひがみだよ。きみは ふみつけられなかったら 冬のさむさに たえられず
死んでしまうだろうぜ。
おれだって赤んぼうのころに、人間に いちめん大水の田んぼに
入れられ、おぼれるおもいをするんだぜ。 でもな、おれは 人間が あの大水に
入れてくれるおかげで、大人になれるんだよ。
そんなふうに おもうと、あたまがひとりでに下がってくるんだ。」
むぎは いね(こめ)のことばを きいて かっとなった。
「そりゃあ おひとよしってもんだ。人間が おれたちに くろうさせるのは、
人間が おれたちを おいしく たべたいためなんだぞ。
おれたちの しあわせなんか かんがえているものか。
そのしょうこに 人間は、おれを たべるために こなにしたり、ぺちゃんこに
おしつぶしたりするんだぜ。
おひとよしの きみには そのいたさは とうていわからないだろうな」
いね(こめ)は やれやれとおもいながら こたえた。
「おれが いたいおもいをしたことがないだと?
きみは ひとのことを決めつけすぎるぞ。
おれは、おれをおいしく たべたいという人間に、おれの たいせつな
えいようぶんの「ぬか」を けずりおとされるし、
おれの きょうだいぶんの もちごめは ふとい「きね」でたたきつぶされるんだぜ。
だがな、人間は おれをそだててくれたんだ。そのことを思うと、
ひとりでに頭がさがるんだよ」
むぎは、
「そうだったのか! きみも そんな目にあっているなんて しらなかったよ。
じつをいうと おれだって おれをそだててくれた人間には かんしゃしているんだ。
しかし今さら頭をさげられないんだよ。
おれをそだてるためにやってくれていることだとはいっても、
おれがこどものときに ふみつけられたことばかりが おもいだされるものだから
くやしいんだよ。 でも おれも つっぱってばかりいるのには
しょうじき つかれているんだ・・・・・・・・・・」
こめ と むぎ。ふたりの 考えかた、いきかたは ちがう。
しかし、そんな せいはんたいの こめ と むぎを、いっしょにたくと、おいしくて
しかも とても えいようのあるたべものになる。
むぎごはんに やまいものとろろをかけると ぜっぴんである。
おしまい どっぺん。