地震時のこと(その1)@保護者レポート
(3月15日校長発)
未曾有の巨大地震によって、被災地のみならず国内インフラがきわめて不安定になり、三日間の休校としておりますが、子供たちもテレビ報道等で被災地の激甚被害を目の当たりにしていることと思います。
この機会に、
・亡くなった方々への哀悼の気持ち、
・被災者の人々へのお見舞いの気持ち、
・突然の死別れに遭遇した人々の辛さに思いを馳(は)せる
・自分たちがとりあえず平常に生活できることへの感謝の念、
・「平常を保つ」ことが如何にありがたいことであるかしみじみと感じる
・そして、感謝の念を忘れずに不平不満を言わないで過ごせる人への成長
以上のことについて子供たちが考えてくれれば休校も意義あることとなるでしょう。
さて、先の大地震以来、本校児童の保護者の皆様が体験談をメールにして寄こしてくださっています。それらを読んでいますと、来たる(想像したくなくても必ず来る)東京大地震に備える心構えや防災につながることがたくさん触れてあるように思います。
学校としても皆様のお子様の安全を守るために非常時の対策について熟慮を重ねてまいりますが、いただいているメールを、「先生ブログ」を通して広く皆様に読んでいただくことも今後のことにつながると判断し、掲載したいと存じます。
※メールをいただいた方々には掲載する旨のおことわりを入れてございます。
(続きは、↑↓見出しをクリックしてご覧ください)
メールの本文そのままの掲載ではなく、ところどころ要約して短く致しますことをご了解ください。
はじめは箇条書きにして、うんと短文にしようと思いましたが、それではせっかくの臨場感が出ないことになりますので、ところどころ要約と致します。掲載順は私が受け取った順です。
皆様とも、枕詞(まくらことば)として、被災者の皆様への衷心からのお悔やみやお見舞いを丁重に書いておられますが、割愛致しました。
メールのご紹介のまえに、先生方から聞いたお話で、特筆に値する本校6年生の行動をご紹介しておきます。
【6年生A君のこと】
A君は、お母さんに迎えにきてもらって一緒に帰っているときに、
「あ、近所の1年生のB君は今、家で一人で留守番のはずだ。
きっと心細いはずだから、お母さん、一緒にいてあげようよ」
と言って、B君の家に行って、その保護者が帰宅するまで、
ついていてあげたということです。
1年生のB君はいつも仲良しにしてくれるA君の顔をみると
泣きだしてしまったそうです。頼もしい6年生ですね。
この話を聞いて私は6年生をうんと誉めてあげたくなりました。
休校が続いているので誉める機会がありませんが、
これを読んだら自分のことだと気が付いてくれるでしょう。
この6年生以外にも、銀行のそばで地震にあい行員さんが保護してくださって、
家庭と連絡をとり保護者の方に引き取りに来てもらうまで辛抱した児童の話や
いろいろと感動的な話がたくさんあります。
いかなる災害にも負けない都市大っ子に育ってほしいと心から思います。
【Yさんのメール】
未曾有の大災害のさなか、まだまだ余震が心配される中の休校期間ですが、出来る限り自宅でこどもたちと過ごす時間を長く取りたいと思っております。
長女はちょうど下校途中のX鉄道線の中で被災いたしました。
3時間電車の中に閉じ込められた後、S駅まではなんとかたどり着いたのですが、そこから先は当然に進めるわけもなく、私が職場の渋谷から自転車で迎えに行き、なんとか事なきを得ました。
ところが、驚いたことに、S駅で保護されていると思いながら着いたときに、長女は、なんと駅から追い出されていました。私が到着するまでの約1時間半、屋外で待っていました。
駅員さんに理由を確認したところ、
「こういう時は駅に人が集中しやすいので、駅に人を集まらせないように、と警察から指導されているんです。」
私は、子供が低学年の時に
「だいじしんがおこったら」という行動指針を紙に書き、
定期ケースの中に折りたたんで、持たせておりました。
「でんしゃのなかでじしんにあったら、
えきいんさんやえきちょうさんのいうことをよくきいてね。
ぱぱがぜったいにむかえにくるからね。」
幸い長女は周りのお店の若い方々に話しかけてもらい、
温かいお茶を買ってもらい、話し相手になってもらいながら私の到着を待っていたので、寂しくはなかったようです。
その若い方々には本当に感謝していますが、
駅員さんの態度には許せない気持ちを持ちました。駅に人を集まらせないというのは、大人向けのマニュアルであって、このような非常事態のもとで心細く思っているこどもまで外に追い出せという趣旨ではないでしょう。私もその場でそのことを申しましたが、分かってもらえませんでした。
学校や私立学校協会のようなところでアピールしていただければありがたく思います。
【Tさんのメール】
学校が短縮授業期間の地震でしたから、帰宅途中の電車やバスで地震にあった子もいたでしょう。
また塾や習い事に向かった子や自宅が遠方の子も保護者と離れ離れの場所で地震にあったことでしょう。
携帯電話が繋がらず、交通機関もストップして大変だったはずです。
親として最も心配な事は、通学や帰宅時に震災にあうこと。連絡が途絶えること。
成城学園前駅まで行って、電車が止まっているので学校に戻った子もいます。
我が子は学校に宿泊させてもらいましたが、少人数だったからでしょうが、
娘を含めて女子にはレディーファーストということでエバーマットを、
男子は普通のマットを布団代わりに寝たようです。
どうして学校から4キロの近隣に住んでる我が子が宿泊したかといいますと
私が自宅に戻ってこれたのが翌日の朝だからです。
しかも11日の夕方から13時間運転しっぱなしでした。
妻も所用で迎えに行けず、預かってもらいました。
当時私は震度6弱の船橋(千葉県北西部)で車の運転中でした。
しかも高架橋の上。
大阪USJのアトラクションの乗り物くらい揺れましたが、こんな事で驚いていては
被災地の方に失礼ですね。
仕事を済ませ、湾岸道路を市川?浦安?木場?江東区と
大渋滞の中都心に向かいましたが、浦安?木場?江東区周辺の液状化には驚きました。
道路や駐車場の至る所で砂や水が湧き出て交通を遮断していました。
16日までの3日以内に70%の確率で大きな余震があるそうです。
どうか子供達の安全が確保できるよう祈ります。
そして国民一丸となってこの未曽有の大災害から復興させましょう。
【Sさんのメール】
小学校の高学年ともなれば、(低学年でも?)今回の地震による災害が
いかに多くの命を奪っているか理解できると思います。
学校でもそういう心のケアをすると思いますが、我々大人も、
親として子供たちの心のケアをしないといけないと思っております。
ところで、私の娘も所用で学校に残っていました。
地震発生直後に机の下にもぐったところまでは良かったのですが、やはりパニックになっており、先生から「○○ちゃん、足持って!」と言われて自分の足を持ってしまったそうです(本当は机の脚を持ちなさいという意味)。それほど子供にとってはやはりパニックな出来事だったということでしょう。
私は、電車が動き出すのをじっと待ち(待てない人たちは、徒歩で帰ると言って会社を出て行きましたが)、11時半頃に地下鉄が動き出したという情報を得て、タイミングよく会社を飛び出し、1時半頃に自宅に着きました。
Tさんが自動車運転中に地震にあったと聞きましたが、大渋滞にはまったそうです。車は地震があると、本当に動かなくなります。携帯電話もつながらないし、いざとなると文明の利器は何の役にも立ちません。(以下略)
【T2さんのメール】
我が家の子どもたちは2人とも下校時に震災に遭いました。
下の子(4年)は、自宅まであと3つほどの駅に着いていたので、機転を利かせて、バスを乗り継ぎ、6時過ぎには自力で帰宅しました。途中で、色々な方に助けてもらったそうです。
上の子(6年)は、電車が止まったのがM駅でした。公衆電話で電話をかけてきたので分かりました。その後、電車は止まったままだったので、僕が原付で迎えに行くことにしました。
ところが、道が大渋滞で原付で行くのにも2時間くらいかかりました。
結局、駅の電車最後部にいた上の子を発見したのですが、ホテルはどこも満室との予想から、駅前のマクドナルドにて一夜を過ごすことにしました。
公共施設が開放されたのですが、
「ここにいる方が温かくて、食料がある」
と判断して、動きませんでした。
隣の席には埼玉県から受験のためにたまたま来ていた高3男子がいて、一緒に過ごしました。
僕は、普段から携帯ラジオを持ち歩いているので、夜は寝ないで情報収集をしていました。
ラジオを聞いていて分かったことは、
・車は大渋滞すること、
・公衆電話はかなりつながりやすいこと、
・ラジオが一番の情報収集手段、
・携帯は通話はダメでも、メールはほとんど大丈夫だったこと。
このような非常時の対応については、妻とはもちろんですが、子どもたちとも話していました。
我が家のルールは、
「居場所を知らせて、とにかく、動かないこと。必ず迎えにいくから。」
でした。
上の子は我慢強く何時間も待っていてくれましたがさすがに疲れたようです。
以上、通学1時間の我が家の場合をご報告させていただきました。
頑張った子どもたちに感謝です。
(本シリーズは、後日に続きます)